書評
                                    『私にとっての20世紀』
                     (加藤周一著 岩波書店・239ページ・2,200円)



 32年前の初春、当時ウィーンに住んでいた加藤周一氏を訪ねたことがあ
る。私はオーストリア政府奨学生という気楽な身で、同じ町にのらくらしてい
た。クチバシの黄色い青年を加藤氏はうるさがらず、逆にカフェまでつれ出し
て、世紀末ウィーンの諷刺(ふうし)家カール・クラウスについて、あれこれ
質問した。たまたま私がその人物について論文を書いていたからだ。
 とりわけ一つのことを鮮明に覚えている。おりしも隣国チェコでは「プラハ
の春」が進行中で、冷戦ただ中の自主改革が世界の注目をあびていた。夢の入
りまじった青年の議論を黙って聞いていたあと、加藤氏は力をこめてある予測
を口にした。その予測どおり、半年後、ソ連の軍事介入によって「プラハの
春」は一夜にして消えうせた。号外の舞うウィーンの街路で、私はつい先立
(せんだ)って耳近くに聞いた言葉を、あっけにとられた気持ちで思い返して
いた。

 「1999年、日本で一連の法律が通った」

 第1部「いま、ここにある危機」のくだり。現在の検証に始まっている。過
去を語って「いま」を忘れてはならないからだ。新ガイドライン関連法といわ
れるもの。盗聴法、国民総背番号制、国旗・国歌法… …つづいてようやく過
去にさかのぼる。第2部は「戦前・戦後 その連続と断絶」と名づけてあっ
て、なし崩し的権力掌握の歴史のこと、あるいは「国体」という言葉、サルト
ルと自由について、さらに憲法問題。「プラハの春」をめぐっては第3部「社
会主義 冷戦のかなたへ」のなかで語られている。「戦車が象徴するような物
理的な力の面ではソ連が圧倒的に強い。論理、正当化の点ではプラハ側が圧倒
的に強かった」

 状況を正しく捉(とら)えること。それはまた、戦車に対する論理、つまり
言葉の力の検証である。その際、加藤氏は自分が見聞したことに厳しく限っ
た。言葉に責任をとるためだ。心情的言説とレトリックがはびこるわが国に
あって、この人は終始、稀有(けう)な例外だった。よく修練された論理的思
考のもつ静けさ、繊細さ、その基底音が耳元に聞こえてくる。

評者・池内紀(ドイツ文学者)

 

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