昔一九三〇年代の末から四五年まで、日本国では人を罵るのに、「それでもお前は日本人か」と言うことが流行っていた。「それでも」の「それ」は、相手の言葉や行動で、罵る側では「それ」を「日本人」の規格に合わないとみなしたのである。その規格は軍国日本の政府が作ったもので、戦争を行うのに好都合にできていた。日本人集団への帰属意識を中心として、団結を強調し、(「一億一心」)、個人の良心の自由を認めず(「滅私奉公」)、神である天皇を崇拝する(「宮城遥拝」)。そういう規格日本人の集団に属さない外国人または外国かぶれの日本人はすべて潜在的な敵であった(「名誉ある孤立」)。国際紛争は、武力による威嚇又は武力の行使によって解決する-(「撃ちてし止まん」)。多くの日本人はそういう規格に合わせて生きていたのである。

 

しかし例外はあった。その一人が今は亡き白井健三郎である。詩人宗左近氏は最近自伝と近代日本の詩歌を中心とした詞華集「詩のささげもの」(新潮杜、二〇〇二)を刊行したが、その中で学生であった著者が召集令状を受けた歓送会での出来事を記述している。一九四五年三月三一日の夜、東京、著者の自宅でのことである。当時東大法学部の学生であった橋川文三とその同級生の一人が、白井―当時海軍軍令部に勤めていた―に食ってかかり、「きみ、それでも日本人か」と言いだした。そのきっかけはわからないが、白井は落ち着いて、「いや、まず人間だよ」と答えたという(前掲書、一〇七ぺージ)。そこで自分たちが、「まず日本人だ」という主張と「まず人間だ」という主張が対立して、問答がおよそ次のように続いた。

 

「まず人間とは何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」

「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」「何て非国民!まず日本人だぞ」「馬鹿なことをいうなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」というところで、橋川とその友人の二人が殺気だち、「そんな非国民、たたききってやる」と叫ぶ。同席した友人たちが間に入って暴力の行使には到らなかったが、「これはいつまでも記憶に残って消えませんでした」と宗左近氏は書いている。同席の人たちの何人かは私の知人でもあり、その中の一人に私は宗氏の記憶に誤りがないかどうかを確めたが、彼は言下にあの本の記述は正確であると答えた。

 

今あらためて宗左近氏の本を読み、初めて知ったこの問答は、四五年以前の日本国において、実に典型的であった。「それでも日本人か」は修辞的質問にすぎず、実は「それならば日本人ではない」というのと同義である。すなわち「非国民」。相手を「非国民」と称ぶのはほとんど常に、「まず日本人」主義者であり、「まず人間」主義者ではなかった。また論争から暴力による威嚇または暴力の行使へ飛躍することが早いのも、前者の特徴で、後者の特徴ではなかった。四五年八月以前に、国民の圧倒的な多数が前者に、ほとんど例外的な少数が後者であっ.たことはいうまでもない。その晩の白井健三郎は、一人で二人に対していたのではなく、ただひとり杜会の圧倒的多数意思に対抗していたのである。しかも多数意見は官製であった。「まず日本人」説を作り、鼓吹し、教育して、多数意見としたのは、国家権力である。それが圧倒的な多数意見となった状況―それこそ四五年三月の状況にほかならない―の下で、「まず日本人」説を主張するのは、多かれ少かれ大勢順応主義であり、当人が自覚しようとしまいと、権力順応主義でもあった。そこに同調せず自説を曲げなかった白井の精神の自由を私は尊敬する。

 

モンテスキューは、自分自身よりも家族を、家族よりもフランスを、フランスよりも人間の世界の全体を愛すると言った。だからモンテスキューが「非国民」だったわけではあるまい。なにもフランスの場合にかぎらない。日本国でも仏教の要諦を悟るか悟らぬかは、当人の身分の上下とも、男女の差別とも、いわんやその宋人たるか日本人たるかとも、何らの関係がない、と言い放ったのは、道元禅師である。またもし富永仲基が白井の同時代人であったら、思想史発展の基本的な型は人間杜会に固有であって、その舞台が日・中・インドのどこであっても変らない、と言ったであろうし、もし内村鑑三が白井と同席したならば、人は信仰によって義とされるので、国籍によって義とされるのではない、と語ったであろう。いつの時代にも、日本国民のすべてが大勢順応主義者であったわけではない。道元がいたし、富永仲基がいたし、内村鑑三がいて、白井健三郎もいたのである。

 

「まず日本人」主義者と「まず人間」主義者との多数・少数関係は、四五年八月を境として逆転した―ように見える。しかしほんとうに逆転したのだろうか。もしそのとき日本人が変ったのだとすれば、「それでもお前は日本人か」という科白をこの国で再び聞くことはないだろう。もしその変身が単なる見せかけにすぎなかったとすれば、あの懐しい昔の歌が再び聞こえてくるのも時間の問題だろう。あの懐しい歌「それでもお前は日本人か」をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焼土として、崩壊した。その反省から成立したのが日本国憲法である。その憲法は人権を尊重する。人権は「まず人間」に備わるので、「まず日本人」に備るのではない。国民の多数が「それでも日本人か」と言う代りに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。 6/24

 

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