二〇〇一年九月十一日からおよそ半年が経った。米国の内外の状況は、「テロリズム」直後から今まで大いに変わってきたようにみえる。そこで何がおこったのか。反米テロリズムは米国の政治的・軍事的・経済的権力を象徴する三カ所に向けられていた。市民の犠牲者は数千人に及び、米国民は死者を悼んで団結し、テロリストたちへの復讐を誓った。政府は「反テロリズム戦争」を宣言し、国際的な世論は、そういう反応を理解し、支持した。その後にアフガニスタン戦争が続く。しかしブッシュ政権の「反テロリズム戦争」には初めから不明瞭な点もあった。

  第一、軍事力行便の目的は「テロリズムの根絶」なのか「復讐」なのか明らかではない。広汎な国際的世論の支持は前者に対してであって、後者に対してではなかった。,第二、「戦争」の相手は一般に、政府とその軍隊であるが、テロリストの地下組織は政府ではない。「反テロリズム戦争」とは一種の形容矛盾であろう。さればこそ、アフガニスタン戦争は、タリバーン政府を倒すのに成功し、テロリズムの指導者(オサマ・ビンラデイン氏とされる)の逮捕・殺害にも、組織(アルカイーダ)の解体・一掃にも失敗した。第三、反米テロリズムの背景に.は強い反米感情がある。なぜそれほど強い反米感情が生じたのか。宗教的な「原理主義」はその十分な説明ではないだろう。原因の明瞭な説明がなく、対抗手段としての武力行使が有効であるという主張には説得力がない。しかしとにかく多くの国が米国のアフガニスタン征伐に協力した。そこまでが九月十一日以後の歴史の第一期である。

  その第一期にさえも、戦争をアフガニスタン国境の外へ拡大することには、少なくない外国の反対意見があつた。反対意見は一月末の「年頭教書」で大統領がイラク・イラン・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の三国を「悪の枢軸」と呼び、次の戦争を示唆するに及んで、頂点に達した。米国民の圧倒的多数は犬統領とその戦争を支持していたから、同盟国の世論との開きは、おそらく第二次世界大戦以後もっとも大きくなった。これが第二期である。

ドイツの代表的週刊紙(Die Zeit二月十四日)には、「イラク攻撃は誤った時期に誤った理由で行われる誤った戦争になるだろう」という記事があらわれ、フイッシャー外相は同盟国に相談しないで始めた戦争に協力を求める米国を砒判し、「連合国の一員であることは衛星国を意昧しない」と言った。フランスではヴェドゥリーヌ外相が米国政府の考え方を現実の「単純化」ときめつけ、中立的な新聞(Le Monde二月十二日)が「米国の頭はおかしく(fous)なったのか」と題する論文を載せた。

もう少しおだやかな表現ではあるが、その後イラク攻撃に反対しているのは、国連事務総長から中国やロシアを含めてサウデイアラビア政府にまで及んでいる。朝鮮半島での戦争には韓国・中国・ロシアが反対し、イランについてはアフガニスタン暫定政権がテロリズムとは何の関係もないと言う。このような国際的世論に対し、米国の政府は今までのところ何らの反応も示していないようにみえる(ユニラテラリズム)。それどころか軍事予算を大幅に増大し、特定七カ国(中・口、「悪の枢軸」三カ国、シリア、リビア)に対する先制核攻撃をも合めての「核戦略の見直し」(NPR)さえ準傭している、という(三月九日付ロサンゼルス・タイムズ、十日および十一日付朝日新聞)

しかし事態がここまで来ると、米国内にも、国際的世論と呼応して政府の戦争政策に対する強い批判があらわれ始めた。批判者はもはや外国人でも、例外的な個人でもなく、米国人であり大新聞のコラムニストや代表的政策研究機関の研究員などである。彼らの意見が今後普及してゆくとすれば――まだ確かではないが、九月十一日の半年後に、米国の反応の第三期が始まった、と書えるだろう。たとえばニューヨーク・タイムズは「核武装したならず者としてのアメリカ」という題を掲げた杜説を次の文章で結んでいた(ヘラルド朝日、三月十三日付掲載)。「核兵器はただ兵器庫に加えるもう一つの武器というようなものではない。それを使用するための敷居を低くするのは向こう見ずの愚行である」と。「愚行(folly)の語は、半年前には誰も使わなかったろう。三カ月前からはヨーロッパ人が使うようになった。今では米国人が米国政府の政策について使う―ということは、米国が愚行から脱出する一条の光が見えてきたということかもしれない。

  もちろん日本国にとって米国との友好的関係は重要である。しかし無批判な追随は長期的な友好関係を強化しないだろう。幸いにして日本には平和憲法があり、反戦的な国民感情があり、「唯一の被爆国」としての「非核三原則」がある。その原則が、単に日本の安全にとって合理的な政策であるばかりでなく、米国の安全にとっても有効な原則であると主張すれば、日米の友好関係を前進させるために大いに役立ち得るだろう。

  冷戦の時代に、米国の安全は強犬な抑止力によって保障されていた。冷戦後には、その軍事的抑止力があまりに強大で、もはや軍事的に米国を脅かし得る国は存在しない。米国の安全を脅かすのは他国政府のミサイルではなく、国境を超えて拡散したテロリストの組織である。軍事力の行使は、適当な対抗手段ではなく、しばしば反対効果をさえ生み、暴力の悪循環に陥る危険がある。米国の安全に必要なのは、脅し、報復、力ずくの強制ばかりでなく同時に、相手方の憎悪を和らげる説得力である。しかも米国杜会には、核兵器よりも強力な説得のための武器がある。それは国内での民主主義、外国人に対しての開放性、学問と芸術の高い水準、そして素晴らしい自然と国民の魅力に他ならない。

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