世界史の転換と歴史の読み直し

        ---21世紀への課題

加藤周一 X 網野善彦

 

世界史の変容と新しいソリューションの発見

 

加藤 まず、いまの世界史の大きな転換を考えるとき、ど

ういう言葉でそれを言いあらわしたらいいんでしょうね。

二律背反でもないけれども、二っの主として対立する概念

が幾組かあって、それがたいへん目立ってきていると思う

んです。社会主義が死んだというのはいま流行っているけ

れど、資木主義と社会主義の対立というふうにもいえるし、

もし資木主義のほうを狭い意味で自由市場と解すれば、自

由市場と国家の役割、国家の計画とか、そういうものの対

立というふうにもいえますね。

 

 それからもう一つは、社会主義は本来、一種の社会的平

等を目指していたと思うんですね。たとえば教育とか、生

活必需品とか、衛生とか、そういう領域での平等原理の強

調です。資本主義のほうは、競争の規則をみんなが守ると

いう意味で平等だけれども、競争の結果の不平等を前提に

していると思う。勝ち負けが予想されないと競争してもし

ようがない。自由競争の結果は不平等です。そういう意味

では、自由と平等というのも対立概念だと思うんですね。

 

それからこれとはちょっと違うけれども、いま急に出て

きたもう一つの傾向は、各方面に分散する遠心的運動と、

求心的運動とがいろいろな面で目立っていると思うんです。

たとえば、ある種の国際的な機関の活動が、少なくとも

第二次世界大戦の前に比べれば独くなった。しかし、いままで

の国が分解し、旧ソ連をはじめとしてたいへん分散的傾向も強い

ですね。それが同時に出ている。遠心と求心という両方の

傾向が強く出ているということがあるんじゃないか。

 

それは見ようによっては、多様性に対する要求と、それ

からある秩序というか、一つの統一性に村する要求との対

立というふうにもいえないことはないと思うんですね。現

在の転換期というのは、いまいったような対立というか、

対立する二っの傾向が強くなってどこかで折り合いをつけ

なければならない、その折り合いのつけ方が従来の折り合

いのつけ方だと間に合わなくなってきた時期でしょう。従

来はそれほど劇的な対立にならなかったものが、いまや劇

的対立になって出てきて、手がつけられず、二つの傾向の

調和を取ることができない。旧ユーゴスラビアだってある

意味では、ユーゴスラビアの中にあった多様性が遠心的傾

向となって出てきて、それが平和的に競争するのではなく

て、戦争になっていると思う。そういう対立に何らかの新

しい解決というか、調和というか、折り合いを見つけない

限り、絶えず混乱か争いになるんじゃないか。

 

ところが折り合いの方法が見つかってない。だから転換

期なんじゃないでしょうか。

一番大きなことは、思想的に言えば自由対平等、社会的

に言えば求心的傾向と遠心的傾向、そういう対立関係を

いままでとはちょっと別の形に変えていかない限り、混乱や争い

が深まっていくんじゃないでしょうか。

 

網野   最初からたいへん的確で、しかも大きなお話しが出

たので、何も申しあげることがなさそうで、困ってしまい

ますね。

 

加藤  本当に、世界史の変容ということになると、たいへ

ん話が大きいですね。でも日本の中では必ずしもそうじゃ

ない。九州とか沖縄、あるいは北海道の独立運動なんてな

いでしょう。そういう意味では、日本は遠心的傾向といっ

てもそんなに強くはない。だけど、いまどこの国でもちょ

っとあるんですね。フランスやアメリカ合衆国ではそれほ

ど強くはないと思うんですけれど。アメリカでもないこと

はないんだし、北米ということでいえば、フランス系カナ

ダには分離しようという傾向がもしかしたら現実化するか

もしれない程度に強くあるわけで、イタリアもそうなんで

すね。ごく最近のことですけど、政治的勢力として、北部

同盟というものもある。旧ソ連はみんなそうです。そうい

う分離傾向というのは日本はあんまりないですね。世界で

起こっている求心性と分離傾向との対立、拮抗ということ

はあまりないような気がするんですけれども。

 

 

「日本」という言葉

 

 

網野 おっしゃるとおり、日本の場合は少なくとも表面に

は出ていませんね。

 ただお話を伺っていて、たまたま思い出したのですが、

私はついこの間、沖縄に初めて行ってきました。琉球大学

の集中講義に行ったのですが、講義をしていながら「日本」

という言葉を使うときに非常に緊張しなければならなかっ

たのです。特に私は近代以前のことを話すのですから、明

治以前の沖縄は日本ではなかったわけですし、ある場合に、

無神経に「日本」という言葉を使うときわめて不正確にな

り、沖縄の人をきずつける危険性があるのです。そこで、

仕方がないので「狭い意味の日本」などといいながら話を

してきましたけれども。しかし本来は、本州・四国・九州

で話すときにもまったく同じ感覚を持っていなければいけ

ないと反省したのです。

 

グローバルな話から突然微細な話になりますけれども、

「琉球」という言葉を使うか「沖縄」を使うかも十分神経

を使って正確にしなくてはいけないのだということも、頭

では知っていましたけれども、実際に話してみますと、

「琉球」というべきか「沖縄」というべきかについて絶え

ず迷いながら話をせざるを得なかったのです。沖縄は琉球

王国を併合した日本のつけた県名ですし、アメリカの統治

下では琉球が専ら使われたわけですからね。

 

そこで求心と分散という問題に関連してきますけれども、

いまおっしゃったように、世界全体ではその問題が非常に

するどく、いろいろなところで問題になっている。その中

に日本をおいて考えてみますと、きわめて怪しげで根拠の

ない「求心性」が依然として幅をきかせており、それがな

んとなく日本人のふつうの常識になっていて、そのため、

本来日本人自身が考えなくてはならない問題を見失わせ

ている。というよりも、そもそも見る力を持たないで安住して

いる状況があって、それが最初におっしゃった現在の

世界で起こっているいろいろな問題に対して、日本人がど

う対処すべきかを考えるさいの鈍感さ不的確さとなってい

ると思うのです。自由と平等の対立にせよ、分散性と求心

性の問題にせよ問題の所在をつかみきれていない。これを

もうちょっと具体化していえば、国家と民族と社会の関わ

りの問題で、それが、いまの対立に深く絡みながら起こっ

てきていると思うのですが、どうも、現代の日本人はその

辺をつかみ切れていないように思います。これは私自身も

含めてのことで決して自分を外に置いているつもりはあり

ません。実際、沖縄に行って「日本」について緊張してし

ゃべらなければならないというきわめて初歩的な経験をし

た自分を、もう一度反省し直してみたいと思っているので

す。どこで話すときにも同じ緊張感を持っていなければい

けないはずですからね。「琉球独立論」は現在はそれほど

強い動きであるとは思いませんけれど、それが主張される

根拠はありますし、現代の日本が果たして、こういうあや

しげな求心力によりかかっている状態で、済むものかどう

か、大きな問題だと思いますね。

 

加藤 まったくそうですね。

網野 私は外国には、二、三回出た程度にすぎませんので、

加藤さんから伺いたいと思うんですが、ある時期までの

世界、特に欧米の日本に対する関心は、明治以降の急速な

近代化、あるいは戦後の高度成長がどうして起こったかにあ

って、そういう点に主として関心を持って日本研究がやら

れていたと思います。しかし、この二、三年、アメリカ、

フランスやオーストラリアヘ行ってきたのですけれども、

どうも少し様子が変わってきたような気がします。そもそ

も中世史をやっている私のような者が呼ばれていくこと自

体、不思議な感じを持ったのですが、近代だけでなく日本

を、全体としてとらえようという動きがあるように思いま

した。ついこの間、オーストラリア国立大学の主催でひら

かれたシンポジウムは、なんと「日本人のアイデンティテ

ィーについて」を主題にしてひらかれたのです。「鐙・

帆・鋤」という題をつけて、日本人とはなにかについて、

オーストラリア人だけではなくて、アメリカ人やイギリス

人、韓国人、中国人、インドネシア人の学者たちが議論を

しているのです。もちろん日本人もかなりいたのですが、

まず、日本人とは何かということを、人種がどこから来た

かという問題から始めて、現代の問題まで、四日問も議論

したわけです。日本の持っている、ある種の得体の知れな

さを、そこまで掘り下げて考えようというわけなんですね。

 

私は「天皇・百姓・米」というテーマを向こうから与え

られて、話したのですが、こんな話がオーストラリアで通

ずるのだろうかと思ったのですけれども、よく聞いていた

だけたようです。そういう関心、広い視野から日本を見よ

うとする動きがあることはたしかです。しかし、私は英語

がまったくわかりませんので後で日本人に聞いた話ですか

ら不正確なのですが、もう一つ、別の見方もあるのです。

若い日本人の研究者が、従軍慰安婦問題を取り上げて、こ

れは軍隊と娼婦との関係の一般的な問題の中で理解される

べきであり、その中における日本軍隊固有の問題を掘り下

げる必要があるという趣旨の報告をしたようです。そした

ら出席していた在日の学者が、これに対して、日本の責任

を免罪するものだという強烈な批判をしたようです。

 

私には内容はよくわからなかったのですが、その発言が

終わったとたん、私の後ろにいたオーストラリア人が二、

三人、猛烈な拍手をしたのです。ところがそれに対して、

若い研究者はまた反論をしました。決してそういう意図で

はない、問題を道義問題、日本軍国主義の特異な問題にし

てしまっては、問題の本質は解けないと反論をしたようで

す。言葉はわからなかったけど、その様子から見てたいへ

ん熱烈な反論だったと思いますが、それに満場から拍手が

わいて、どうやらその場はおさまったのですけれども、こ

ういう日本に対するきびしい見方があり、さきほどいった

ような日本の得体の知れなさが議論の対象になっているの

だということを実感しました。たいへんおもしろい経験を

したと思って帰ってきたんですけれども、加藤さんは外国

にたびたびおいでになっていらっしゃって、現在の世界の

状況の中で、日本に対する外国人の見方が、最近どのよう

になっているのかお話しいただけると有難いのですが。フ

ランスでも、アナールが日本特集を近々するようで、私の

小さな体験でも、少なくとも六〇年代、七〇年代のころの

日本に対する世界の関心と、八○年代以後とでは、かなり

変化しているのではないかと思うのですが。その辺はいか

がでしょうか。

 

加藤 沖縄では、さきほどの狭い意味での日本を「ヤマト」

っていうでしよう。

網野  そうです。

加藤 「ヤマト」というふうに呼んで、区別の意味をはっ

きりしているわけですね。

網野  沖縄の方々が私に「ヤマト」から来たとおっしゃる

ので、「僕はヤマト人などという意識はまったく持ってい

ません」とお答えしました。つまり、狭い意昧での「日本」

の中でも「ヤマト」はごく狭い地域の名称でしかありませ

んから、「僕は甲州人であって、ヤマト人とはまったく思

っていない」といいましたら、向こうの人も「それもそう

だな」といって笑っておられました。しかしなぜ琉球が

「ヤマト」という表現で狭い意味の「日本」を表現したか

は、理由があるので、「日本」の和訓がヤマトであったこ

とと関係あると思いますし、「日本」という国名をつけた

のがヤマトの勢力だったことによるのですが、それ自体お

もしろい問題だと思います。

 

加藤 沖縄の人がいうときの「ヤマト」というのは、狭い

意味での日本を指して、その全体をあらわしているんだと

思いますが、それはやはり力関係とも関係があると思うん

です。つまり、狭い意味の日本に住んでいる我々のほうは

あまりそういうことを意識しないわけでしょう。沖縄の人

は、意識してない人はほとんど一人もいないという印象を

受けますね。その問題は、つまり沖縄と本土というかな、

狭い意味の日本との違いに対する意識が、沖縄と狭い意味

での日本「ヤマト」の間ですごく違うわけですね。私はそ

れはかなり普遍的な現象だと思うんです。

 

私はカナダに住んでいたんですが、カナダは、英語カナ

ダとフランス語カナダに分かれているわけですが、英語カ

ナダではその違いを強く意識しなかったわけです。我々と

同じなんです。カナダということで、中にフランス語地域

もあるけれども、別にカナダの全体というのに対する何ら

の疑いがなかったわけですね。英語を話すカナダ人はそう

いうことは知らない。ところが、フランス語系のカナダに

行ってみると、沖縄と同じように違う。そのことを意識し

てない人なんて一人もいないというほど、日常的に意識さ

れているわけです。その食い違いが非常に大きいと思うの

で、ちょっと似ているんじゃないかと思うんです。つまり、

力関係の強いほうには、だいたい「ああ、それは日本の一

部だ」で片づけてしまう傾向があって、小さいほうという

か、弱いほうがその問題を強く意識する。そういうことな

んだと思いますね。カナダの場合はケベックはそれを長い

間忍んできたわけで、それをケベック独立運動が過激な形

で表現しはじめてから英語カナダの人もいやおうなしに意識

せざるを得なくなった。これが私のいう分散化傾向の根源だ

ろうと思う。沖縄は潜在的ですね、現状では。だけど、意識

の面では明らかに同じ性質の問題があると思いますね。

 

網野 明らかに同じ性質の問題があると思いますね。

加藤 同じ構造です。

網野 沖縄は中国の影響も非常に強く受けているわけですし、

狭い意味の「日本」の影響も強いのですが、しかし、

ウタキやグスクをちょっと歩いてみますと、やはり沖縄は

沖縄、琉球はまさしく琉球だと思います。沖縄独自なもの

がなお現状でも維持され、生活の中に生きていますね。

 

ですから、いままでのお話にあったような、分散の傾向

を考えますと、沖縄にははっきりそれがあります。しかも

独自な歴史を背景にしているわけですから。アイヌは少数

になっているけれども、この場合ももちろんそれと同じだ

と思います。そういう問題を、我々自身が抱えていること

は、前々から頭ではわかっていたような気がしていました

けれども、今度行ってみて、それをはっきり感ずることが

できたと思います。いまの世界の現状の中で、日本の場合、

私はむしろ、求心の方向を強調するよりも、分散化の要素

が日本の杜会の場合にもじつは根強くあることを、もっと

もっと日本人全体が認識するような方向にまず進む必要が

あるのではないかと思っているのですが。

 

 

日本の文化の問題――中央集権化と分散化

 

 

加藤  そうですね。日本では、まだどちらかといえば、中央集権的な

傾向がだんだんに強くなっているのではないかと思うんですけれどね。

 

平安時代は違うけれども、室町時代から戦国時代というのは、

やはり権力の集中への過程じゃないでしょうか。

そして江戸幕府というのは、室町時代に比べればはるかに権

力の集中でしょう。幕府の体制の成立が権力の集中で、権

力の集中は同時に経済的な統一化というか、全国市場支配

という形と、それから文化も統一へ向かう傾向が強く出て

くるわけでしょう。それが第一段で、第二段は明治維新だ

と思うんです。明治維新は、幕藩体制よりももっと中央集

権化した。そして、第二次大戦後に外圧の関係があって、

若干の面について分散傾向が出たけれども、またいま進行

しているのは中央集権の強化じゃないかと思いますね。だ

から、日本の文化の問題というのは、むやみに進行する中

央集権化をどうやってもっと分散的な力というか、傾向に

よってバランスするかという問題じゃないでしょうか。ど

うもそういう気がしますね。

 

網野  ただ、このごろ気がついたことですが、狭い意味で

の「日本」の社会について、いままでは、江戸時代以前は

農業社会であったとするとらえ方が一般的だったと思うの

です。

 

しかし、最近いろいろと調べてみると、このごろいたる

ところで言ったり書いたりしているのですが、百姓は農民

だけではないんですね。百姓の中には、海民、山民もいる

し、職人、商人、廻船人、金融業者など、じつにいろいろ

な生業を持つ人々がいるのです。ですから、人口の九〇%

は百姓だから、日本の杜会は農業杜会だという考えはまっ

たく間違っているわけで、意外なほど日本列島の社会には

商業、流通が早くから発達しています。一三世紀後半にな

れば、為替手形が流通するぐらいの商人、廻船人のネット

ワークが形成されており、海辺に都市がいたるところに成

立しているのです。一五、六世紀にはかなりの程度まで、

計量的な経済杜会になっていますので、その上に、江戸時

代の社会があり、さらにその発展として明治時代があると

いうふうに考えたほうがよいと思います。これは「文明史

的転換」にも絡んでくることで、歴史的な問題に即して考

えてみますと、現在の日本の村と町はだいたい一五世紀ぐ

らいにはできていたのではないかと思うのです。一五世紀

にだいたいかたまった村と町が、江戸時代も明治以後も基

本的には社会の基盤となっていたと思うのですが、それが

現在、大変容しつつあると思うのです。日本の社会だけを

見ていると、まさしく新たな文明史的転換に、いまや、さし

かかりつつあるといってもよいのではないかと思います。

私はいま短大で教えておりますけれども、短大生の基本的

な生活体験に即してみると私の話は通じなくなっています。

我々の使っている道具、たとえば炭に関係する道具や農具、

それから言葉そのものも驚くようなことを知らないのです

から。石高制の「石」も絶対わからないです。斗、升も知

りませんね。そういう、生活そのものの大変動が、いま日

本の社会では確実に起こっていると思うのですが、おそら

く、これはグローバルに考えてみても、欧米社会でも同じ

問題がたぶん起こっているのではないかと思いますし、さ

らに大きく問題を広げて南北問題までふくめて、地球全体、

人類社会の全体に、日本の社会と同様のいままでとは質の

違った大転換が始まっているように思います。核の問題も、

公害の問題もその一つの現れでしょうし、自然と人間の関

係がいまや、決定的な転換期に差しかかりつつあるといっ

てよいと思うのです。その一端が日木の社会にもあらわれ

ているのでしょうが、またそうした大きな人類社会の転換の

中で、東欧、ソ連の社会主義の崩壊のような最近の社会の

大きな激動が起こってきていることも間違いありません。

それは加藤さんのいわれた二項対立をもう一つ超える原理を

、我々が否応なしに見つけなければならないところにきている。

それと大いにかかわってくるのではないかという印象を持つ

わけです。

 

 

一五世紀以来の転換期

 

 

加藤  私も日本で起こっているいろいろな現象というのは、

日本に固有ではないと思うんですね。それはどこにも出て

くる問題で、町や村の社会のもとは、みんないまおっしゃ

ったように一五世紀から成立している。必ずしも一五世紀

ではないけれども、やはり一五世紀は大事でしょう、ヨー

ロッパでも。だから、いま町や村があったり、伝統的な習

慣とか生活様式とか、あるいは価値観とか、極端なことを

いえば衣食住まで、だいたい一五世紀ごろから固定したも

のだと思います。そして、その一面はだんだんに変わって

くるんだけれども、いまいろんな条件で、工業化とか交通

とか情報のマスメディアでの流れとか、いろんなことがあ

ってそれが転換期になっている、変わっていくというのが

.般的現象だと思いますね。一五世紀以来とおっしゃった

のはたいへんおもしろい、それも平行関係だと思う。おお

よそのところは、一五世紀以来だということです。

 

そういう意味で、日本に起こっている現象は日本だけの

ことではないと思うんですけれども、日本では過激なんだ

な、その程度が。おそらくほかのどこにもまして過激に、

急速に、誇張された形で出てきているんじゃないかという

気がするんですよ。それはなぜなんだろうということを私

はよく考える。たとえば、方言がだんだん滅びていくとい

うのもそうですね。どこでもそうだけれども、方言を保存

しようという力もたいへん強く働いて、せめぎ合いになっ

ているために、そう抵抗なしにあっさりと滅びちゃうとい

うのではなくて、かなり執鋤な、かなり意識的な抵抗にも

かかわらず、ヨーロッパでは滅びる傾向が出ていると思う

んですよ。

 

一番極端な場合は、私は去年の春から夏にかけてチユー

リッヒに住んでいたんですけれども、スイスはドイツ語と

フランス語とイタリア語に分かれているわけですね。チュ

ーリッヒはドイツ語スイスなんです。ところが、これも網

野さんの日本語との関係で教えていただいたらおもしろい

と思うんですが、方言があるわけです。それはスイスドイ

ツ語なんです。一般的にはスイスドイツ語ですが、もっと

詳しくいえばチューリッヒのドイツ語。それも方言なんで

すね。これはまず外国人には何をいっているのか全然わか

らないのです。ドイツ語を知ってる人、母国語の人だった

らだいたいこういうことらしいということがわかる場合と

わからない場合があるという、かなり強いものなんですね。

でも、すべての文書、たとえば税金の払い方とか郵便局

は何時からあいているとか、もっと簡単なことでも、交通

規則とか、そういうことは全部、文字にされた言葉はすべ

てドイツ語なんです。方言ではないわけです。そうすると、

それがどんどん押しまくって、普通のドイツ語になってい

いはずでしょう。ドイツの放送局のラジオもテレビジョン

も全部入るわけですから。ところが、話しているときは方

言なんですよ。最近話し言葉としての方言がむしろ強まる

傾向があるというぐらい強いわけです。

 

これはなぜなんだろう。たいへん特殊な傾向ですね。あ

る特殊な団体の中で独特の言葉がある。そういうものを保

存する傾向と、ちょっと近いようなんですね。しかし、そ

ういうのと違う点は、そこで使われているすべての文書は、

公的たると私的たるとを問わず、方言ではないということ

なんです。これはじつにおもしろい現象だと思う。これは

極端な場合ですね。どっちかといえば、だんだん消えてい

くんじゃなくて、方言の使用が少し強まりつつあるらしい

んです。

 

もう一つは、もっと人為的というか、人工的に滅びる寸

前の地方語を保存する。学校でも少し教えて、保存するた

めに行政的な措置をとる、人工的にそれを守ろうという運

動がいろいろなところにあります。スイスだけではなくて

フランスでもあるんですけれども、そういう傾向はどこに

も少しはある。

 

日本の場合は、そういう抵抗なしにどんどん成り行きに

まかせるという感じが非常にするんですね。

 

網野  たしかに成り行きにまかせているという面もなきに

しもあらずですけれども、意外に、日本の方言の場合も根

強いカを持っているような気がいたしますね。私などは郷

里の山梨に帰りますと、こんなしゃべり方はしないので、

すっかり甲州弁になってしまうんです。これは不思議なこ

とで、いまの若い人たちの間で果たしてどうなっているの

かということはわかりませんけれども、現状でも、テレビ

などで共通語があれほど浸透していても、地元ではやはり

その地の言葉を話しているわけですから。実際、私は青森、

鹿児島で地元の方の話されていることが、何一つわからな

かった経験がありましてね、まったく言葉が通じないので

す。お酒飲んでしゃべられたりしたらもうまったくだめな

んですね、まるでわからなくなりてしまいます。

 

もわろん、歴史的に遡れば遡るほどそういう状況が

.般的だったはずですが、「日本国」あるいは「日本人」

として統一された意識ができてくるのは、いまおっしゃっ

た文字だと思います。言葉ではまず絶対通じない青森で書

かれた文書も、南九州で書かれた文書も私は読めるんです

ね。

 

加藤  それはほとんど違わないんですか。

 

網野  文体はほとんど違いありません。もちろん、江戸時

代の文書は百姓も書きますから、綿密に見ると、地域によ

って、個性はありますけれども、しかし、文体、それから

書体まで、統一性があって、地域の個性はほとんど隠れて

います。文字は明らかに上から、国家の側から入ってくる

ので、一見、一様に見えるけれども、地域の実態はきわめ

て多様なのです。日本の場合は、このような問題が突き詰

めて考えられないまま、ぼんやり、言葉はどこでも通ずる

から単一の言語で単一の「民族」なのだという「常識」が

できて、現作に至っていると思いますね。しかしじつは多

くの日本人がいわゆる共通語と、地元の言葉とをはっ

きり使い分けている。

 

加藤  両方話せるわけでしょう、もちろん。

 

網野  ええ、ある年齢までの若い人はまさしくそうなって

います。だから一種のバイリンガルなのです。お年寄りに

はそれができないわけですね。共通語はわかるけれども話

せない、ですから私どもなどには全然わからないことにな

ります。話を分散と集中の問題に、戻しますと、日本の社会

の実態はかなりの程度、分散の現実があると思うんですね。

それが、文字の世界、現代では共通語の世界によって、あ

たかも一つであるかのごとく思い込んでいるところが大問

題だと思います。沖縄の場合は地元の言葉と共通語の違い

が大きいですし、それが「おもろ」のように文字にもなっ

ているのではっきりわかりますが、じつはまったく同じ状

況が、本州.四国・九州の地域問にもあることが自覚され

ていないわけです。

 

だから、いまおっしゃったように、いまの日本はモヤモ

ヤしたまま成り行きにまかせている面が強いと思いますけ

れども、私は、「方言」、地域の言葉の生命力は、依然とし

て根強いと思いますね。

 

加藤  それは残ったという感じですか。

 

 

・日本人のアイデンティティー、民族意識

 

 

網野  そうですね、自覚しないまま、おのずから残ったと

いうことだと思いますので、むしろこれからこの問題をど

うしていくかということが大問題だと思うんです。確実に

生きているそうした地域の独自なものを、いままでのよう

にぼんやり放っておけば、たしかにだんだん滅びていくこ

とになるかもしれません。二〇代の人たちは地元の言葉を

話さなくなっているようですからね。ただ条件があれば逆

に地域の独自な力が表面にでてくることもありうる、それ

だけの生命力はある、決してなくなってはいないと思いま

すけれど。ただこの問題と、民族の問題とは間違いなく関

係があると思います。私はユーゴなど世界の状況は勉強し

ていませんけれども、「日本には民族問題がない」という

ことを平気でおっしゃる方がいまでもいるのですが、これ

はさきほどのぼんやりした「日本」の意識からでてくる決

定的な間違いですね。じつは諸地域の独自性は民族の問題

に繋がる問題でもあると思います。

 

民族というのは、たしかにそれが民族と意識される背景

に何らか現実的な素地は明らかにあります。実態がないと

は決して言えないのですけれども、ただそれが民族として

意識されるのには歴史の作用、とくに国家の力が作用して

いると思います。もちろん、国家だけの作用ではないと思

いますけれども、人為的な要素、いろいろな外的要因が加

わって、民族という意識が生まれるのではないかと思うの

です。そう考えてきますと、私は、この日本列島の本州・

四国.九州でも、少なくとも二つの民族が、条件によって

は成立し得るぐらいの社会構造や言語、習俗の差異がある

と思うのです。もちろん沖縄は当然、琉球民族といってよ

いと思いますし、アイヌ民族もあるわけですが、それだけ

でなく、本州・四国・九州の社会にはこれを大きく東西に

分けることのできるくらいの差異があり、それが民族とな

っても決しておかしくないだけの要素を持っていると思い

ますね。

 

そういう意味で、民族は、内在的な条件からのみ必ずで

きるというのではなく、外からの力の働きも大きな意味を

持っていると思うのです。ですから日本人のアイデンティ

ティー、民族意識と一言われている要素、たとえば米や天皇、

オーストラリアでその話をしたのですが、これらを綿密に

分解して考えていきますと、結局はどうも、古代国家、

「日本」をはじめて国号とした律令国家のつくり出した制

度にいきついてしまう、この国家の意図していたことを、

近代国家が増幅して、組織的な教育によって国民に定着さ

せたといわざるをえなくなってしまうのです。

 

加藤  そうでしょうね。

 

網野  もちろん文字、言葉の問題や、米の問題は

実態があるのですが、それを直ちに民族に結びつけていくと

、ある意味ではすべてが虚偽意識といってしまえることに

なっていきますね。天皇の問題も含めてそうだと思います。

 

さきほどのお話にでたカナダの問題や、スイスの問題は

すぐに民族問題にならないのかもしれませんが、そうなる

蓋然性も大いにありうるように見えます。その辺のところ

はいかがでしょうか。ユーゴの場合にはそれが大きく表に

出て民族紛争になっているわけですが、カナダやスイスと

ユーゴの違いがどこにあり、どこに同じ要素があるのかと

いうことを考えていくと、さきほどの求心と遠心の問題を

もう一つ掘り下げた問題になっていくのではないか。少な

くともそれを考えていく場合の一つの手がかりにはなるの

ではないかと思いますが。

 

加藤  カナダはほとんど民族問題だと思いますね。だから、

二つの民族から成っている連邦みたいな感じで、実質的に

はそういうことだと思うんです。それは言語的、宗教的、

したがって教育文化的、最近では経済的に大いにそうで、

政治的にもある程度あります。だから、連邦みたいなもの

で、民族というふうに意識しているだろうと思うんですね。

 

網野 民族として意識しておりますか。

 

加藤 しているでしょうね、フランス側ではね。さきほど

お話したように、英語を話すほうは多数派で、あまり意識

してないと思います、スイスは、僕が非常におもしろいと

思ったのは、これは民族として意識しているのはそれほど

強くないんだろうとは思うのですが、経済的、ことに文化

的に、ドイツ語スイスというのは非常に強くドイツと結び

ついているんです。だから、ある意味では広いドイツ文化

圏というものの中に、文化的にはまったく強く結びついて

いるんですね。その結びつきは、ドイツとドイツ語スイス

とオーストリアというのは、ほとんどドイツ語圏文化とし

て、たいへん強く結びついているんですね。

 

一方、フランス語スイスは、教育から何から徹底的にフ

ランスと非常に強く結びついているんです。それもフラン

ス人のほうは、ジュネーヴを、だいたいフランスの一部で

もないけれども、政治的には別だけれども、文化的には一

部だと思っていると思います。それはスイス側ではかなり

強く、アンデンティティーの問題を絶えず問題にしてるん

ですけれども、ただ驚くべきことには、同じ国でしょう。

だけど、フランス語スイスに住んでいると、新聞を読んで

いても、いまパリで何が起こっているかよく書いてあるん

です。どういう展覧会があるか。チューリッヒでどういう

展覧会があるか書いてないからわからないんです。距離も

近いけれど、何も情報がないんです。電話でもかけて聞か

ない限り、何をしているのかわからないというほど極端な

んですね。逆もまた真なんだな。ただ、ドイツ系スイスの

チューリツヒでは、フランス語系スイスがフランスと結び

っいているほどはドイツと結びついていないですけれどね。

 

網野  公用語はドイツ語ですか。

加藤  いやいや、公用語は、国語は四つで、ドイツ語とフ

ランス語とイタリア語とロマンシュ語というちょっと小さ

な二万人ぐらいの言語です。

 

網野 公文書はどうなりますか。

 

 

・民主主義とスイスフラン

 

 

加藤  公文書は仏独の二つです。しかしドイツ語圏では、

普通の言葉はドイツ語だけですね。フランス語は書いてな

いです。ただ、連邦だから連邦政府の布告とか議会は二ヵ

国語です。ドイツ系の人はドイツ語でしゃべって通訳なし、

フランス語系の人はフランス語でしゃべって通訳なしでわ

かることを前提として議会をやっているわけです。

 

しかし、文化的には完全に切れているでしょう。切れ方

は、それはもう徹底的に切れている。そういう意味では、

まったく独立の文化圏なんですね。どうしてスイスで一緒

になっているか。いまのところは分離するとはいってない

わけですね。僕は民主主義と、それからスイス銀行だな、

スイスフランだろうと思います。生活程度は、ヨーロッパ

一ではないまでも、ずっと世界で一番高いところの一つで

しょう。そして通貨は、ご承知のように一番安定した通貨

なんだから、外国の人がみんなスイス銀行へ預けるでしょ

う。要するに、象徴的にいえば、スイスフランと民主主義。

民主主義もかなり徹底した民主主義なんですね。そのくら

い徹底した民主主義をやっているところは、あたりを見回

してもあんまりないから、結局もし民主主義に執着すれば

スイスにいたほうがいいし、それからもし通貨の安定を求

めればスイスフランのほうがドイツマルクよりももっと安

定している。こういうことだと思うんですね。民主主義が

アンデンティティーの根拠じゃないかと思う。だからスイ

スの場合は純粋で、純政治的、純経済的な二つの要素が結

びつけていて、文化的要素はあらゆる細部にわたって、た

とえば食べ物から飲み物まで、極端に違うわけです。そう

いうのは日本から行くとたいへんおもしろい。

 

日本は、もちろん方言や何か生き延びていてたしかに違うん

ですが、しかし他方では、統一原理は歴史的に言えば天皇制

が大きいだろうと思うんですけれども、やはり天皇制に象徴

されるようなものだと思う、これはスイスの民主主義という

のとは違うんですね、

 

網野  まったくそうですね、

 

加藤  スイスの統一原理は、くどいようですけど、政治的

概念である市民権です。市民的権利だから、日本とは違う

わけだ。

 

一番極端な例は、小さな村で、小さな地方(カントン)

で、連邦政府が、軍事演習をする。地方の行政機関に許可

を求める。村長が拒絶すると連邦政府のほうが退く、軍事

演習をしない。そのくらい地方が強い。どうしても必要な

らば、住民投票をやって、連邦政府の軍事演習取りやめを

要求する。そして地方が勝つ。連邦政府には法的に強制権

がないですね。日本とは性質の違う話で、こっちはむしろ

統一が上から来る。だから連邦政府のいい分を拒絶する権

利、これはおもしろいと思うんだな。文化がそういうふう

に分散して、地方がそれぞれの文化を持っている場合に、

その統一原理は何かということ、どういう統一原理がそこ

に作用するかというのは大きな問題じゃないですか。

 

網野  そうだと思いますね。いま方言とおっしゃった日本

の各地域の言葉も、言語学者、国語学者の意見によります

と、おそらく、フランス語とドイツ語の差、あるいはフラ

ンス語とイタリア語の差よりもずっと大きい差異があるの

だそうです。これは金田一春彦さんの岩波新書『日本語』

の中に出てきたと思いますけれども、日本語の地域の言葉

に即して、系統図をつくると、ヨーロッパの言語の系統図

などよりもはるかに複雑な系統図がっくれるのだそうです。

大きくは東日本と西日本に「方言」は分かれるといわれて

いますけれども、さらに細かく系統図ができて、分かれた

先の距離を見ると、かなり広い差がある。

 

加藤  そうかもしれないですね。

 

網野  イタリア語とスペイン語でしたら、母国語をそのま

ま話しても、七〇%は通じると聞いているのですが、本当

でしょうか。

 

加藤  フランス語だとそうはいかないと思いますけれども、

スペイン語とイタリア語だったらだいたいそうでしょう。

 

 

・日本の村や町の自治能カ

 

 

網野 ですから、その差異よりも、甲州語と青森語の差異

のほうが、はるかに大きい。まるっきりわからないのです

から。実際、国語学の方法できちんとした表をつくってい

ただければ、わからない理由がはっきりわかると思うんで

す。それだけ多様なものを抱え込んでおり、いままでずっ

とそれが生きていながら、それが表面にでてこないで、な

んとなく統一、ぼんやり均質ということになっている。し

かも、一面では、地域の力はさきほど申し上げたようにか

なり根強いのです。それは日本の村や町の自治と関係があ

るでしょうね。村と町の白治能力は相当なものだと、私は

最近考えるようになっています。これには異論もいろいろ

とあるとは思うのですが、国家、上からくるものに対して

村と町の抵抗力は相当にあると思います。上からきた役人

は村の中には実質的にはなかなか入れない。国家も役人も

入ってよけいもめごとを起こすより、できるだけ村や町に

まかせて処理させておいたほうがよいというのが、江戸時

代のふつうの状況だったのだろうと思います。これまで日

本の村は、支配のための一つの道具になっている、共同体

は支配者の支配を貫徹する役割をしたという面からだけ村

がとらえられてきたと思うのですが、たしかに結果的には

そうなっているのかもしれないですけれども、実態として

は相当根強い自治能力を村や町が持っていたのですね。建

前と本音ということになりますが、建前では国家や役人に

従う顔をしているけれども本音の顔、村独自の機能をかな

りしぶとく持っていたと考えたほうがよさそうです。

 

加藤 それは六〇年代からだんだんに変わりますか。戦争

中まではかなりありましたね。私は疎開したときに、信州

の村に行ってたんです。私の印象では、明治憲法以来天皇

制で上からおさえ、戦争中だから戦争宣伝も徹底的にやっ

て、あれほどやっても浸透していないという感じでしたね。

本当は洗脳されていない。

 

 

・日本人にとっての米問題

 

 

網野  そういう意味の根強い自立性は、日本の社会には意

外にあるのではないでしょうか。それが方言を依然として

生かしつづけているものにつながると思うんです。ただ、

六〇年代とおっしゃいましたが、まさしくそれが高度成長

期で、この村や町の基盤自体がいま大きく動き出している

と思いますね。

 

その大きな転換を、どういう方向に向けていくべきかと

いうことを、我々はこれから本気で考えていかなければな

らない。二十一世紀にかけてそれがどうなっていくかはわか

りませんか、いずれにせよ、二十一世紀に希望を持つとすれば、

それは日本に即していえばこの問題をどう考えたらいいかに

かかっているように思います。これは最初におっしゃった、

二項対立の問題と、すべて絡んでくるとは思うのですけれども、

それを超えるものを本当に見出せれば希望はみえてくるで

しょうね。そのために私は、まず、これまでのあいまいで、

ぼんやりした統合の原理、いままで長い間日本人をとらえつづけ

てきたインチキのアイデンティティーを分解してしまう必要

があると考えています。その上で徹底的に正確に日本の社会

の実際に持っているものを明らかにしていく。

たとえば「分散」している事態、地域の多様性を深いところで

十分に我々自身が自覚をし、みすえた上で未来像を模索する。

これは狭い日本の問題ですし、世界の政治レベルの問題と

してはどういうことになるか私にはわかりませんけれども、

ただ、そういう学問上の作業の上に立った細やかな神経の

行き届いた政治を進めてもらいたいですね。

 

さきほどおっしゃった二項対立のそれぞれは、両方とも

絶対的な原理のようなもので、一方で、他方を潰してしまう

わけには決していかない問題だと思います。

だから二律背反とおっしゃったのだと思うのですが、二項

を対立させたままでなく、生き生きとした関係でどうした

ら調和させ解決するか、そこのところがポイントだと思う

んですね。

 

さしあたりいま本の直面している問題の一つである米

についてふれますと、米が日本人にとって非常に大事だと

いうことは歴史的にも証明はできます。ただ沖縄、アイヌ

は違いますし、さきほどの西日本と東日本ではまた違いま

ので、すぐに「日本人」すべての問題にはできないので

す、最近、調べている奥能登は{近・中世から近世まで商

工業、交易が非常にさかんで、その面ではきわめて豊かな

ので、農業地域ではまったくないのですが、古くひらいた

水田とそれに関わる祭りはじつに大切によく残しているの

です。この点から見ても水田が大事だということはよくわ

かる。しかし、それが日本列島全域にひろがる上では、明

らかに国家の作用が強烈にあるわけで、さきほどの上から

の統合原理である一面がある点もはっきりしておかなくて

はなりません。だからこれは決して単純な食糧問題ではな

いところがある。まだ私にもよくわかってはおりませんけ

れども、とにかく、現在の賛成論も反対論も本当に根本を

ついていないという感じを持ちます。ではどうしたらよい

かということになると、さきほどの二律背反の問題と同じ

で、見通しは簡単には得られないというのが、現状ですね。

 

加藤 米開放に反対というか、開放にともなって、おそら

くは米づくりを潰してもかまわないではないかという人た

ちがある。それに反対する人たちは、やはり文化問題だと

いうことはいってるんじゃないですか。

 

網野  それはそうではないでしょうか。

加藤 文化問題だから、食糧問題というか経済問題だけに

還元できないということだと思うんですね。

 

網野 その方向をもっと徹底させて考えていかないと具合

がわるいのです。食糧自給論の視角からこの問題を議論し

ていたのでは、おそらくだめだし、問違ってしまうと思い

ます。文化問題と環境問題の方向からも反対論が展開され

ているわけですが、この方向もまだまだ本当に問題の本質

をついていないという感じがしていましてね。

 

加藤 それは私はこういうことだと思うんだな。ちょっと

手遅れだと思うんですが、牛肉とかオレンジとか、そうい

うものは文化問題じゃないでしょう、食糧問題でしょう。

だから、食糧問題と文化問題をはじめからはっきり区別し

て、食糧問題は経済問題なんだから、経済官僚というか政

府が交渉して、文化問題と切り離す。それはそれなりの市

場開放とか何とかということにも関連してくるだろうし、

それはそれでいろいろのソロバンの都合ですね。米だけは、

はじめからそれは純経済問題ではないから、経済的な問題

として議論することはそもそも出発点からできないと。そ

れをはっきりさせればよかった。一度純粋に経済問題とし

て扱えば、どうしようもないんですよ。自動車の輸出のほ

うが、米の問題よりも経済的に見れば大きい。だから、自

動車のためには米で譲るとなるし、アメリカ側からすれば、

米なんて大したことない。アメリカの輸出商品の中で米が

持っている地位というのは、非常に小さいんです。米を日

本が開放しようとしまいと、日米貿易不均衡とかそういう

ことに関係ない。だから、はじめからそういうことから外

して議論すべき問題だと思うのですね。

 

網野 いまのお話には私もまったく同感なのですが、実際

の議論の推移を見ていますとどうもそういう方向にはまっ

たくなっていないように見えます。しかし、その辺がとて

も難しいところなのですね。米の本来持っている文化的な

問題が、経済問題や国家と最初から絡んでいる。米は非常

に早くから交換手段、貨幣の機能を持っているし、資本に

もなつています。とくに西日本にはその傾向が強いのです。

だから江戸時代では米が貨幣になっているわけですが、経

済問題としての米の問題が江戸中期から動きはじめるので

はないかと思います。この時代は素人ですから一般的な常

識程度の知識ですけれども、このころから、売るための米

作りがさかんになってくる。東北や北陛の米作地帯ができ

てくるのは、この近世の中期以降のことと考えてだいたい

よろしいと思いますし、北海道は近代に入ってからですね。

これは明らかに経済問題としての米問題でもあるわけです。

だから、問題の処理の仕方が井常に難しいのですね。それ

を文化問題と考えるときでも、米を直ちに日本人のアイデ

ンティティーの象徴というわけにはいきませんね。これも

かなり疑わしいと忠いますよ。

 

加藤 いま現在の若い日本人を含めて、どのくらい米を文

化的な問題として意識しているかということになると大い

に疑わしいという、それが泣きどころですね。だから、歴

史的に見れば文化的な問題が非常に重いけれども、現在の

日本人の意識の中で、それほど大きな地位を占めているの

かというと、あやしいと思うんです。

 

網野 そうだと思います。この根本問題を明快に答えられ

ないのは歴史家にも大いに責任があろうかと思いますけれ

ども。

 

加藤 そういうこともあるので、大いに泣きどころはある。

しかし、にもかかわらず外交交渉として米問題は、交渉の

やり方がまずかったと思うんです。はじめから、外圧がく

る前から、たとえばオレンジと牛肉は、日本ではむやみに

高いんだから市場開放する。外圧ではなくて、みずから市

場開放する。これは我々の考え方である農業生産物に関し

ての市場開放のリストで、ここまでは全部いいけれども米

は例外であると。はじめからそれを出せば、たぶん通った

と思うんです。ところが、本側が進んで開放しようとい

ったものは一つもないわけです。圧力を加えたら牛肉を開

放した、圧力を加えたらオレンジを開放した、圧力を加え

たら何だと、最後に米が来た、アメリカ人の考え方とすれ

ば、圧力を加えたらまた米も開放するだろうと考えるのは

当然でしょう。日本の市場というのは閉鎖的だが、圧力を

加えれば一つ一つ譲っていく。ついに米にきたという状況

でしょう。この経過からいえば、いまの外交交渉として、

米を突っぱねるということはできないと思いますよ。いま

文化といいだしても、向こうはまた口実だと思いますから

ね。ともかくはじめからやるべきだった。

 

 

・米と国家・米と天皇

 

 

網野 もうひとつの問題は、米が日本の場合さきほどちょ

っといいましたように、最初から国家とつながりを持って

おりましてね。端的にいって私の郷里では正月にモチを食

べないわけです。うどんを食べる。結構そういうところが

あちこちにあるので、つきつめてみると米作地帯じゃない

んですね。やはり古代の国家が田地を課税の基礎にした。

これが強烈な影響を後々まで及ぼしているわけです。江戸

時代に、貫高から石高に変えたのも、決して単純な経済問

題ではない要素がありましてね。かなり政治的な要素も含

んでいると思います。

 

その意味で、米は国家、さらには天皇と深いかかわりを

持ってきた。だから、文化として米を守ろうとすると、す

ぐその問題にぶっからざるを得なくなってくるのです。そ

こをあいまいにしたままで、「米は日本人のアイデンティ

ティだ」といってしまうと、それでは天皇もアイデンテ

ィティーの象徴だから大事にしようという方向に、たちま

ちのうちに絡め取られてしまうような強い歴史的な背景が

あるわけです。さきほどの話にでた日本の社会の実態であ

る非常に根強い分散性を、ぼんやり覆っているものがある

わけで、それが米でもあり、天皇でもあるのです。これを

本当にはっきりさせたときに、はじめて本当の意味での米

の文化的な意味が表に出てくるだろうと、最近私が考えて

いますけれども、ただ、そのぼんやりと覆ってきた統合の

原理が、じつに、日本人の場合には根が深いんですね。

「日本国」ができてから.三〇〇年の歴史をずるずるとひ

きずってきたところがあります。

 

最初に申しましたけれども、私は沖縄へ行ってつくづく

「日本」という言葉を使うことの重みを感じたわけです。

それは直ちに、では「日本」はいつどこから始まるかとい

う問題につながってきます。このごろ非常におもしろいの

で毎年、学年の初めにやっているのですけれども、「日本」

という国の名前はいつ決まったかという質問を学生にしま

すと、誰も知らないんです。琉球大学でもそうでした。何

となく、いつのまにか日本人になりずっと昔から日本人だ

とみな思っているわけです。つまり「日本」そのものにつ

いてきわめてほんやりした認識しか持っていない。そのぼ

んやりした認識の中で、天皇がぼんやりあり、米がぼんや

りあるという状況が日本の現状だと思います。

 

ですから、さきほど申し上げたように、私はまず、その

ぼんやりしたものをはっきりさせて、統合原理と思われて

いた虚偽意識を全部解体してしまおうと考えています。少

なくとも学問的にですね。そこからおのずと本当の姿が新

しく見えてくるだろうと思います。村の本質的に持ってい

る非常に根強い力も同じですね。これは調べていけば、さ

きほどおっしゃったスイスの民主主義にもつながり得ない

とはいえない、非常に根強いカを持っていると思います。

こういう力をこれからどう生かすかということが大きな問

題なので、まず実像を表に出すという「戦略」をとっては

どうかと思っていますが、いかがでしょうか。

 

 

・日本社会を覆う「ぼんやりとしたもの」

 

 

加藤 文化的にいえばそうでしょうね。文化的な漠然とし

た、ぼんやりしたカバーが全体にかかっている。それが統

一原理として働いているということ、それは、戦前には軍

国主義で、戦後には経済的な状況でカバーがかかったと思

うんですね。大量生産だし、どこでも同じ会社の自動車に

乗るとか、そういうこともあるけれど、就職の機会が統一

的というか、そういうものをカバーする力として働くと思

うんですね。だから、経済的な統一原理というのが大変強

く、文化的なぼんやりしたカバーに、またそれを強化する

ように作用しているのではないか。政治はそのことを無視

して動く。政治がそういう文化的、経済的な統一原理より

ももっと突っ走って、いろいろなことを急に仕掛けると必

ずしも中に浸透しないということなんだと思いますね。そ

こが政治的な宣伝が村の中に浸透しないということと、経

済的な統一原理は、もともとあるぼんやりしているけれど

も文化的な統一原理を強化するように作用しているのでは

ないか。だから二重構造になっている。それはやはり、村

の中に徐々に浸透していると思う。

 

ことに六○年代以後の理想は、どんどん経済的なものに

組み込まれているでしょう。だから、やはり意識に、影響

を及ぼしてくるということなんじゃないか。その両方を取

らないと、中の独自性が出てこないんじゃないでしょうか。

網野 日本の社会は少なくとも、一.一五世紀以降、商

品貨幣経済が、我々がいままで考えていたよりもはるかに

発展していて、金融業者や商人のネットワークが確実に日

本列島全体に広くでき上がっていたと思います。ところが

政治的、制度的に見ると、国家はそれをほとんどつかまえ

ていないという状況のようですね。現状でも、どうもそう

いう傾向が続いているような感じがするわけで、明治にな

ってからも、意外に公権力、国家権力は、商業のネットワ

ークを十分つかんでこなかったのではないかという気がし

ますね。これはまったく素人の印象ですけれども、戦争中

に入ってからは国家総動員ということになるわけですが

敗戦後は、経済が独自な動きをしている。政治はそれに追

いついていけない状態だと思うのですが、その辺の問題を

さきほどの村の問題を含めて、これからどう解決していく

かという課題がいやおうなしにでてくるのではないかと思

います。

 

加藤 そうですね。あと明治は村の中まで浸透できなかっ

たんだけれども、政府側が政治的にとった二っの手段とし

ては普通教育と軍隊でしょうね。

 

網野 その通りですね。

加藤 それは力ずくだから。それである程度は統一原理を

おしつけた。その基盤の上に戦後のぼんやりとしたカバー

がかぶってくるということでしょうね。

 

網野 ただ、方言は普通教育にもかかわらず生き延びるわ

けですね。「標準語を使いましょう」が、戦後になっても

小学校の標語になっているという事態があるくらいの根強

さがあるわけです。

 

加藤 それはチューリッヒと同じなんですね。チューリッ

ヒでは、学校ではドイツ語を使いましょうという。いま私

ぐらいの年のスイス人は、先生はドイツ語だし、生徒が学

校のクラスの中でドイツ語で返事しないと怒られたりなん

かする。学校がドイツ語だったものだから、家庭はスイス

語、チューリッヒ語だけど、ずいぶんみんなよく話せる。

ところがその後、学校が寛容になったんだそうです。学校

でも方言というか、チューリッヒ語を使っていいことにな

つた。だから、いまはドイツ語の話せない人がいると文句

をいっている老人がいたぐらいなんですよ。つまり、それ

と非常に似ていると思うんですね。学校でいくら頑強に強

制しようとしても、学校のほうが敗北した。

 

網野 日本の場合は、上からの学校教育を敗北させるほど

には民主主義が徹底していないといわざるをえないと思い

ます。

 

加藤 ええ、そうです。

網野 だからそこを切りひらかないと……。なかなかたい

へんだと思いますけれども。

加藤 それはそうですね。

 

 

・「百姓農民」への疑問と日本史の書き直し

 

 

網野 私は加藤さんより一〇歳も若いんですけれども、か

なり年を取ってしまいました。しかしいろいろな新しいこ

とがこの歳になってわかってきて、いろいろな疑問がでて

きた。これまで百姓は農民だと思い込んで、史料を見てい

たんです。ところが、それをもう一度、百姓は農民とはか

ぎらないと思って全部読み直しを始めると、まるで違った

歴史像があらわれてくるんですね。ですからたいへんおも

しろくなりましてね、あと命があるだけもう一度史料を読

み直して、日本史の書き直しをやってみたいなどという途

方もないことを考えますが、時間がありませんね。

 

そういう疑問を持ち、それを解決し新しいことを発見す

る喜びを、本当にみなが知って仕事をすれば、道はどんど

んひらけると思いますね。政治ももちろん同じで、何かあ

る形の決まった結論がさきにあるのではなくて、やはり

つ一つ新しい疑問を持って、それを解決し発見し生み出し

ていくことが大切なのではないでしょうか。生活のあらゆ

る面でそうした動きが出てくれば、人間の生活は生き生き

とするに相違ないのですけれどもね。未知なものは人間の

前には無限にあるわけで、そうした未知の世界にふみこん

でとにかく一つ、一つ新しいことを知っていくという生き

生きした気持ちが広く生活にも学問にも政治にも生まれて

こないものかという思いがこのごろ強くあります。

 

・新しい、未知の世界の発見-価値の転換

 

 

加藤 そういうことは、歴史の見直しというのがどのくら

いあるかということと同じだと思うんです。だから、新し

い、未知の世界を発見していくような態度は、僕は歴史の

見直しの態度と同じだと思うんですね。歴史の見直しがあ

るかないかということは非常に重要な政治的傾向をあらわ

すと思うんですよ。それから、いままでつまらないという

か、無視されていた現像でも、その重要さを発見するとか、

あるいはいままでつまらないとされて無視されていた作品

を高く評価するとか、そういうことがどのくらい活発かと

いうことは、現在の態度にたいする活発さともつながるので、

一つの指標になると思います。

 

それは明治にもあったんだけれども、戦後にもいくらか

あります。たとえば文学作品でも、作家でも、芭蕉や近松

が偉いと決まっている。学校でそう習った。そうじゃない

かもしれないということがありますね。しかし、知られて

いない作家のおもしろさを発見して、価値の秩序が変わっ

てくるということは少ないですね。明治の人たちが西鶴を

発見したときはそうだったと思うけれども、文学の中で価

値のそういう転換というのは少ないですね。いつも偉い作

家は同じでしょう。源氏物語がひっくり返ってつまらない

作品ということになることはないと思うけれども、別の種

類のもので、いままでは源氏の蔭に隠れていたものが同じ

くらいおもしろくなるとか、そういうことがあった方がよ

い。

網野 江戸時代になると、我々のこれまでの想像をはるか

にこえる文学や思想に関わる著作が民間に生まれています。

その基盤は、さきほど話に出た村の根強さの問題とも絡む

ことになりますけれども、じつはたいへんな文化的蓄積が

背景にあったことは確実だと思いますね。最近ようやくそ

ういう角度からの仕事がぼつぼつ出はじめているとは思い

ますが、まだまだ発掘の余地は広いと思います。

 

ただ、このことにかこつけて申しますと、私はあちこち

でいっているんですが、マルクスという人はとても偉いと

思っているんです。一番偉いと思うのは、彼は勉強すると

前にいったことをどんどん変えるんですね。たとえばきわ

めて印象的なのは、共同体についての彼の若いころの考え

方と晩年の考え方とは一八○度違っていると思います。そ

れからロシアのステンカラージンに対する評価も、若いこ

ろの評価は非常に低いのですが、最晩年に書いたものでは

ずいぶん評価が変わっておりますね。こういうことをどん

どんできるような姿勢が必要なのだと思います。実際、現

実はどんどん変わっていくわけで、そこから勉強して新し

い問題を発見し解決していく柔軟さを学問の面でも、生活

の面でも、政治の面でも欲しいような気がします。「二一

世紀への希望」などといわれたので、あえてこのようなこ

とをいうのですけれども、そういう柔軟さは、人問が誰で

も持っているはずのもので、それを本当に生かしきるよう

な状況ができれば、きわめて希望があるといえますね。た

だ、さきほどからしばしばいっているぼんやりしたあいま

いな認識がその一例だと思いますけれども、なかなかそう

簡単にはこういう認識は壊れない。

 

加藤 壊れないですね。

網野 それをどう壊して、二項対立を超えるものをみっけ

るかということにかかっていると思いますけれども。

 

 

・天皇からの距離と社会的地位

 

 

加藤 天皇中心ということは、杜会での人物の重要さが、

天皇家との距離によって決まるということじゃないか。天

皇からの距離が遠い人はあんまり重要じゃないし、近い人

は重要だというので、その距離によってその人物の社会的

地位というか、ステータスが決まるんじゃないかと思うん

ですね。天皇にはそういう座標的な機能があると思うんで

す。それはどういう座標でもいい、固定した点さえあれば、

それからの距離が測れるわけですから。ただそういうふう

にして決まったステータスというのは、そのまま固定する

傾向があると思うんです。だから発見もできないわけね。

 

天皇家からの踊離ではなくて、もっと複雑な座標を使って

距離を測れるようになれば、祉会的な地位の高さ、上下と

いうものが、変わり得るのではないかというふうに思うん

ですね。明治の英雄といっても、たとえば本海海戦で勝

った東郷元帥も、別の尺度を用いれば、もっと明治社会で

大事な人物がありうるわけですね、それはどういう尺度を

適用するかということでしょう。ところが、その尺度にも

フレキシビリティーがなくて、さきはどの漠然としてかぶ

っている暈が、尺度を統一するというか、一定化する機能

があるんじゃないでしょうか。

 

網野 おっしゃるとおりだと思います。

加藤 それが心理的な構造に作用するから、直接政治的な

問題、あるいは社会的な地位の問題だけではなくて、たと

えば文学作品、あるいは文芸の作者の重要さの度合ですね。

そういうものにもそれが作用を平行移動して、一度決まる

と容易に動きにくい。そういう心理状態があるんじゃない

でしょうか。

 

網野 座標軸の多様化ということでしょうね。しかし、い

までも勲章と死後の位階は残っていますね。位階は本来、

天皇との距離なんですね、それがまだ依然として機能して

いる。勲章もやはり天皇に収斂しているわけですね。こう

いう状況がつづいているということは、政治の問題ですが、

やはりあいまいな、ぼんやりした統合意識と関係がありま

すし、文学の問題でも、歴史学の場合でも同じような問題

があると忠います。

 

加藤 でも、安藤昌益などは比較的最近の発見でしょう。

みんなが注目をするようになったのは最近のことですね。

尺度は時代とともに変わってくるはずなんですよ。変わっ

た尺度で見れば誰が重要かということはそれによって変わ

るわけだから、安藤昌益の発見なんていうのもそうだと思

いますけれどね。

 

網野そうでしょうね。ただ、あれにはハーバート・ノー

マンという人が注目したわけですね。もちろん丸山真男さ

んもかかわったけれども。

 

加藤 外圧じゃないけれども、外国からの影響があった。

最近、これは僕はたいへん啓発されたんだけれども、バ

ーバラルーシュという人ですね。彼女が京都で尼さんの

肖像彫刻を発見した。発見したといっても、それがあった

ことは知られていたけれども、広い注意はひかなかったわ

けですね。それを外国人が見て、尼さんの肖像彫刻は、た

だ一つそれしかないということを強調したわけだ。そうい

うことはおもしろいと思うんですよね。

 

網野 ルーシュさんとはお目にっかったことはありますけ

れども、非常に柔軟な目を持った方だと思いますね。

 

加藤 日本の中からもっとそういうのがどんどん出てくる

ことが望ましいというか、そういう意味での柔軟さという

のがあるとおもしろいと思うんです。それが少し、日本で

も変わってはいるんだけど、時代によって美意識も変わる

わけだから、それが反映して過去を見直せば評価が本当は

変わってくるはずですけれど。そういうことがヨーロッパ

の歴史だとたいへんきれいに出ているんですね。一応テク

ストはいつも図書館にはあって、しかしほとんど忘れ去ら

れていたものを再発見するという、そういうことがあると

思うんです。ある時代の意識みたいなものがはっきりでて

くるということですね。日本の場合、そういう違いが、過

去の日本の歴史と照らし合わせたときに、あんまり明瞭に

出ていない。

 

網野 たしかにそうしたことが、これまではやられてこな

かったといえると思いますね。

 

加藤 それももっとフレキシブルにして、いまの人が見れ

ば、昔の人が見たのと別の目で同じ過去が見えるというの

でないと、発見じゃない。

 

網野 そうなれば、たいへんおもしろいと思います。しか

し、最近、日本の歴史学界の中にも、多少そういう動きが

出てきていると思いますよ。ですから、これまでの歴史学

の通説的な体系で、ほとんど崩壊する論理や議論が日本史

に関してもずいぶんあると思います。たとえば封建杜会、

封建制度という言葉にしても、いままでは、領主が農民を

支配するというところに基本があると考えられてきました。

ところが、その支配の基盤になっている人民が、農民ばか

りではない。多くの人たちが非農業的な生業を営んでいる。

土地にしばりっけられるどころか、しばりつけられるべき

土地を持たない、持つ必要がない人たちがたくさんいたの

が事実なんですね。私は百姓の中の半分近くはそういう人

たちだと思います。もっと多いかもしれませんね。もちろ

んそういう人たちも少しは農業をやっているし、狭い意味

での農民でも多少は非農業をやっていますから重なってい

ますけれどね。しかしそうだとすると、領主が農民を支配

する方式としていままで組み立てられてきた論理だけでは、

とうていそうした実態をもつ人民に対する支配をとらえら

れないわけです。現実に領主がそうした動いている人たち

を支配するためには、それとは別の方式や支配原理があっ

たはずなのです。もちろん封建社会という規定自体が無効

になるとはいいませんが、少なくとも、農業と農村だけを

問題にしていたいままでの封建制の議論は、完全に崩れ去

ると私は思っています。

 

たとえば、これもよくあちこちでいっているのですが、

学問上の用語も、これまでの日本の経済史、歴史学の学問

用語は全部農業なんです、農奴、隷農、小農、中農、富農、

独立自営農民、農村の織元、みんな農業なんです。たしか

にヨーロッパの場合は農業中心で、フランスの農村を見ま

すと、そういう言葉が出てくる理由もわからないわけでも

ないのですけれども、「農村の織元」にしても厳密な意味

ではおかしいですね。羊を飼い織物をやっているのですか

ら、村落とか「田舎」とでもいうべきだと思うのですが、

大塚久雄さんも、これを「農村」にしてしまっている。だ

から非農業の分野には、学問上の用語がないんですね。み

な農業の用語になってしまう。もし、百姓の半分が非農業

民だとしますと、杜会の半分を占める非農業の世界を規定

する学問上の用語を、日本の学問はほとんどつくってこな

かったことになります。ときどき海民にっいて「海奴」と

か、「隷漁」とかいってみますけれど、そんを言葉は、ど

こでも認めてくれないわけですよ。だからこれから学界だ

けでなく一般に通用する用語をつくり出さなければならな

いんですね。そういう角度から考え直してみますと。これ

までの日本の歴史については、琉球、アイヌの問題を含め

て、まだまだいくらでも未解決な問題が出てくるし、新し

い理論の構築という意味でも、やるべきことは無限にある

と思うのです。この歳になってそんなことに気がついても

仕方がありませんけれども、そういう問題が現実にあるこ

とは間違いないですね。

 

加藤 それは確実に帯命的なことですよ。

 

 

・世界史の転換期と歴史の読み直し

 

 

網野 日本社会像は確実に大きく変わりますね。これは文

学や思想の問題にも影響するし、政治のあり方にも大いに

影響すると思いますね。このような見方で歴史を見直して

いきますと、おそらく、先ほど来、話に出ていた、求心と

分散の問題にもある解決の方向がでてくるかもしれないし、

あやしげなぼんやりした統合原理をすべて解体して、本当

の実態をとらえることが可能になるのではないかと思って

いるのですけれど。ですから、もう一度史料を読み直して

みると、まったく塗り替えられるぐらい歴史像が変わって

しまう。昔、筆写した庄園の史料をもう一度読み直してみ

ますと、いかにいろいろなことを見落としていたかが、よ

くわかってまいりましてね。たいへんおもしろいのですが、

私のような年寄りがこんなことをいっても限度があるので、

若い諸君にもっとよい意味の野心をもって、大胆にやれと

かいっているのですけれども、学界の抵抗も相当なもので

すから、なかなか大変だと思います。

 

しかしそういう意味で歴史の見直しを、現段階でやらな

くては、二一世紀にむけて希望を持ちうるような道をひら

くのはまず不可能だと思います。おそらくヨーロッパ史に

も同じような問題があるように思うのですが。

 

加藤  あるでしょうね。

網野 もともとアナール派があらわれたのも、そういう問

題と無関係ではないと思いますが、フランスの歴史学もそ

こにとどまっているとは思えません。いま私の当面してい

る問題もその一つですが、日本の学界で一時期話題になっ

た、社会史のような動きが出てきたのと、同一の状況がヨ

ーロッパでもあるのではないかという印象を持っています。

カナダにせよスイスにせよと同じだと思うのですけれども、

これからはいままでと違った形の欧米との対話をはじめる

必要がある。逆にいえばそれはアジアとの新しい形での対

話を開く道でもあると思います。

 

アジアに即してみますと、最近の歴史学・考古学の新し

い研究で、国家や民族を超えた世界が、中世のみならず古

代に遡り、近世になっても至るところにあったことがわか

ってきました。たとえば北九州と済州島・朝鮮半島と中国

大陸の江南の間に、確実に一つの独自な世界があった。

 

「倭寇的世界」などといわれていますが、北のほうでも沿

海州サハリン、北海道、東北の問に同じような世界があり

ますし、南のほうにも琉球を媒介に同様の問題がある。そ

ういう問題が最近、中世史を中心に日本の歴史学界ではよ

うやく大きな関心をよんでいます。

 

いままで「アジアの中の日本」ということはよくいわれ

ましたけれども、話がたいへん抽象的だったんですね。そ

して国家間の問題が主として取り上げられてきたので、そ

の点ではかなり大きな成果を上げてきたのですが、むしろ、

最近では実際に生活している人間同士の結びつきに関心が

向いてきて、いろいろなことが新しくわかってきたのです。

だから「アジアの中の日本」といっても、はるかに具体的

にとらえることができるように徐々になりつつあります。

 

もっと広い、世界の問題につながることですが、日本の銀

は、アダム・スミスがすでに認識しているぐらい、大変な

量だったようですね。メキシコ銀と比較されるぐらい、広

い範囲で動いていて、世界の経済に影響を及ぼしていたこ

とも前からわかっていたことなのですが、その本当の意味

がようやく見直される状況になってきたと思います。そう

いう点で、最近、日本に関しては歴史の見直しが、かなり

本気ではじまっており、たくさんの人たちが仕事を進めて

いるのですが、おそらく欧米の場合にも同じような動きが

当然あり得るのではないかと思いましたので、ご存知のこ

とを教えていただきたかったのです。

 

加藤 欧米の人たちは、自分たちの歴史の見直しが始まっ

ているから、だから日本を見たときに、日本人は本当にそ

んなに固定して、いままでいってきたことで全部話がきれ

いに片づいているのかどうか、ちよっと疑わしいんじゃな

いかという感じが非常に強いと思うんですね。ですから、

もし突っ込んでみたら、だんだん相当見直しの必要が起っ

てくるんじゃないか。時代区分にしても、いまの日本を完

全に、東北アジアの世界の中でそんなに独立、自立的なも

のとして記述できるのかどうか。そういうことも含めて、

疑いがあるんじゃないか。少なくともそういうことが学問

的な人たちの主要な関心になっているんじゃないでしょう

か。だから、日本語の文献を読んで、学んできたけれども、

ヨーロッパ史は動いてきているのに、日本は今までどおり

で大丈夫なのかという感じじゃないでしょうか。

 

網野 アメリカあたりの学者の関心の向き方は明らかに変

わってきましたね。私みたいに英語がまるでできないもの

を呼び出してともかく話を聞こうということになってきて

いるようですから。どうも、何やら日本にはうさんくさい

ところがある、欧米と異質であることはたしかで、いまま

ではある種の説明の仕方で一応理解したように思っていた

けれども、どうもその裏にまだ何かあるのじゃないか、も

う少し違ったとらえ方が必要なのじゃないかという関心が

あるような気がしました。

 

加藤 さっきちょっと話の出たバーバラ・ルーシュにして

も、意識はそうですね、だから、室町時代は足利将軍家の

話なのか、それで話はおしまいかどうかということを疑っ

ているんでしょう。だから新しい別の、もう一つの中世像

というか、そういう感じになるわけだ。本当はたくさん可

能性があるんじゃないかという問題意識でしょうね。フラ

ンスの人たちもそうですね。

 

網野 たしかにそうですね。日本との類似性をこれまでと

は別の意味で、向こうのほうも感じはじめているような感

じもしますね。

 

加藤 それは二段階だと思うんです。日本との類似性は、

戦後の近代化の成功という「成功物語」というのがまずあ

って、そのときはなぜ近代化したのだろうか、成功したの

かということで、ヨーロッパとの平行関係を考えた。それ

がまずあって、それがまた今度は別の意味で平行関係があ

るんじゃないかに変わったんでしょう。

 

日本の社会、歴史の根本的見直し  二一世紀への課題

 

 

網野 そう思います。比較の意味が大きく変わりつつある

といってもよいかもしれません。たとえば、商工業や流通

が、日本列島で意外に早くから発達しており、一四世紀に

は信用経済の段階に入っており、それ以後、都市的な経済

杜会が進展していたとすれば、これまで、もっぱら農業・

あるいは農民.農村とその支配、そこからの資本主義の発

展という点だけで、欧米やアジアと比較してきた程度で

とうてい十分な比較にもならないわけです。日本の社会、

歴史を根本から見直しながら、世界の中での日本の本当

正確な位置づけを明らかにする。それこそが二一世紀へ

希望に向けて、日本の果たすべき役割を明らかにするな

に我々のしなくてはならない仕事だと思います。

 

一九九四年一月二五日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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