朝吹登水子さんとはどういう人か、それは見る人によって違うだろう。私にとっては、長い間の友人である。そして私の人生を豊かにしてくれた人である。その詳細を語ればきりがない。ここではこの本の読者に興味があるかもしれない彼女の一面……しかし私がその魅カの本質的な部分だと思う一面についてだけ書く。それは彼女が二つの文化を生きた人だということである。日本とフランス、日本語とフランス語。
 
外国の文化を知るためには二つの道がある。一つは書物や芸術作品を通じて、もう一つは日常生活の経験を通じてである。江戸時代の儒者はほとんど第一の道のみによって中国の詩文を知っていた。両大戦間の東京の知識人たちの多くも、主として第一の道によって西洋の文化に接していた。しかし登水子さんは、書物から生活へではなく、フランスでの生活から文学作品へ向かったのである。
 
彼女のフランス文化への接近には、英国の文化の踏み台があった。子どもの時、英国人家庭教師の英語を聞いて育ち、若い娘の頃にも英国で暮らした。「午後の紅茶」の習慣や、テニスコートの記憶や、英語の「アクセント」には、今でも彼女の英国が残っている。東京から見てのフランスは「あまりに遠かった」。しかし朝吹家から見ての英国は近かったし、英国からフランスを隔てていたのはマラッカ海峡やインド洋ではなく、英仏海峡にすぎなかった。登水子さんはフランス流の朝食に憤れ、婦人服の流行に親しみ、料理の味の洗練を知り、知識人たちの日常会話の内容に立ち入るようになる。
 
しかし日本文化を忘れることはなかった。穏やかで、攻撃的または挑発的にならないその話し方は、ある時代の、ある階層の、日本の婦人のものだ。同時に話の内容が時として政治にも及ぶのはフランス社会の習慣によるだろう。そのことはこの本を通してもよく窺うことができる。
 
朝吹登水子さんにはいつも強い存在感があって、それは一種の「エレガンス」(上品な優美さ)と分かちがたい。その表情、動作、着こなし、身の回りの物すべてに染みこんだ「良い趣味」。繊細な美的感受性は日本でもフランスでも伝統的文化の特徴だから、彼女はその「良い趣味」において、二つの文化を総合しているといえるだろう。そういうことは、どんな異国の文化にも吸収されつくすことのない人格の独立を前提としてのみ可能であるに違いない。日仏間の国境を自由に超えてきた登水子さんは、同時に階級や男女や異なる世代の間の境界を超えるのにもしなやかで、自由である。二つの文化を生きた人は、また個人の自由を生きた人である。自由に感じ、自由に考え、自由に愛する。それが登水子さんの美しさであり、魅力であると私は考えている。
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