加藤周一年譜

 (小久保実・中村完・矢野昌邦/編 年譜参照)

 

第1期:1919〜1950(渡仏まで)

1919(大正8)年

9月19日、東京市本郷区本富士町一番地(現、文京区本郷7丁目3番1号)に、父・加藤信一(1885−1974)、母・ヲリ子(1897−1949)の長男として出生。ときに信一34歳、。ヲリ子(旧姓増田) 22歳,。

父信一は、1885年(明治18年)2月20日、埼玉県北足立郡北中丸村の地主加藤龍次・多きの次男として生まれ、中丸高等小学校から旧制・浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)2年に編入し、第一高等学校を経て、東京帝国大学医学部に進む。医学部卒業後、東京帝国大学病院の内科医局に勤務し、医局長となり、その後 豊多摩郡渋谷町金王で開業医となる。

母ヲリ子は、1897年(明治30年)3月16日、東京府豊多摩郡渋谷町大字上渋谷の佐賀県出身の陸軍将校(日露戦争の頃は陸軍大佐)増田熊六・ツタの次女として生まれ、雙葉高等女学校(カトリックの洗礼を受ける)を1913年(大正2年)に卒業し、1916年(大正5年)1月に信一と結婚する。

1920(大正9)年 1歳

妹 久子 誕生(10月25日)

1923−25(大正9−11)年 4−6歳

1923年9月 関東大震災

雙葉女子尋常小学校附属(現・雙葉小学校附属)雙葉幼稚園にしばらく入園するも長続きせずやめる。原田三夫(「子供の科学」(誠文堂))、兼常清佐などの本を読む。

1926(大正15)年 7歳

4月東京府豊多摩郡渋谷町立常盤松尋常小学校(現・渋谷区立常磐松小学校)に入学(1年生のときの担任は本橋兼義)。(住所)渋谷町青山南7-3 辰野保方。修了までのその後の住所名は 中渋谷39、金王21、美竹34 の順に変更されている。)


1927(昭和2)年〜1930(昭和5)年 8歳〜11歳


小学4年生のとき、松本謙次先生が理科の担任であった。4年生末にクラス分けがあり、男子進学クラスに所属。5年で退学・修了。このころ「小学生全集」(菊池寛編集・芥川龍之介協力:興文社)全巻を読む。


1931(昭和6)年 12歳

9月満州事変

4月東京府立第一中学校(現・都立日比谷高校)に入学、1学年は5クラス。学校の教育方針に反発。中学校に入って間もなく、小学校同級生の女友達から聞いて芥川龍之介選集を、一年分の小遣いで購い耽読する。父の書斎の万葉集とともに魅了される。中学時代は人生唯一の「空白五年」であった(『羊の歌』)。図画担当の「ネギ先生」(高木先生ただしくは高城次郎?先生)が忘れられない教師として登場。

1935(昭和10)年 16歳

府立第一中学校4年のとき第一高等学校試験に落第。一中4年生のとき、風間道太郎の紹介で信濃追分(脇本陣油屋)に妹と共に行き、詩人立原道造と出会う。

1936(昭和11)年 17歳

2月 二・二六事件。

3月府立第一中学校を卒業。4月、駒場の第一高等学校理科乙類に入学。寮に入り、2年上級の福永武彦、1年上級の中村真一郎、小島信夫、、さらに同級の長谷川泉、1年下級の原田義人、白井健三郎、2年下級の窪田啓作らを知る。先生には、矢内原忠雄、片山敏彦、五味智英らがいた。万葉集輪講に入り大野晋と会う。小山弘志を通して、能狂言、歌舞伎に興味を持つ。1936−37年、庭球部に入る。


12月 映画評「ゴルゴダの丘」(筆名:藤沢正)(「向陵時報」12.16・第一高等学校寄宿寮)

1937(昭和12)年 18歳

7月日中戦争はじまる。12月南京事件。矢内原忠雄、筆禍事件で東大を辞職 12月2日最終講義


 2月筆名「藤沢正」で学生新聞(向陵時報2・18)に映画評「新しき土」執筆。編集委員となる。

 10月劇評「アンナ・カレーニナ」(向陵時報10.10),劇評「土」評(向陵時報10.26)
 12月劇評「キノドラマ 新撰組」(向陵時報12.15)

1938(昭和13)年 19歳

4月国家総動員法公布

高校3年のとき「校友会雑誌」の編集委員の一人になり、また文芸部委員になる。夏軽井沢・千ヶ滝で、立原道造を介して中村真一郎と会う。

1月「小酒宴」(筆名「藤沢正」(向陵時報1.17)
2月映画評「鎧なき騎士」(向陵時報2.1)、小説「正月」(校友会雑誌362)
4月「新協劇団「春香伝」評(向陵時報4.30)
5月「黴」評―新築地(向陵時報5.16)「熱川にて」(向陵時報5.30)
6月「新協劇団「火山灰地」評(向陵時報6.21)、「従兄弟たち」「編集輯記」(校友会雑誌363)
9月「こんな男」(向陵時報9.20)
10月「映画『冬の宿』について」(向陵時報10.18)
11月「秋の人々/投稿作品に就いて」(校友会雑誌 364)、「小品二つ」(アドバルーン/童謡を歌った青年)(向陵時報11.11)
12月「新劇協同公演文学座『秋水嶺』『釣堀にて』評(山本嘉郎と共著)
(向陵時報12.12)


1939(昭和14)年 20歳

9月 ドイツ、ポーランドに進撃、第二次世界大戦始まる。

2月筆名:藤沢正「戦争と文学に関する断想」(向陵時報2・1)
3月一高理科乙類卒業。
6月同人誌「崖」を小島信夫、矢内原伊作らと。創刊小説「春日抄」(崖)
10月詩「窓」(崖・崖発行所)。新古今集に親しみはじめる。

1940(昭和15)年 21歳

6月ナチスドイツ軍パリ占領、 9月日本軍北部仏印進駐、10月大政翼賛会発足

1月 伊藤静雄らの雑誌「山の樹」にハンス・カロッサ「古い泉」を翻訳。
2月 リルケ「風景に就いて」を「山の樹」に訳載。「秋風に/或る日」(崖)
4月東京帝国大学医学部に入学。仏文研究室にも出入りする。渡辺一夫、鈴木信太郎、中島健蔵らがいた。やがて森有正・福永武彦・三宅徳嘉らを知る。また文学部哲学科の友人立石龍彦をとおして法学部の川島武宜を知る。
7月
小説「旅行に就いて」(崖)。
10月「牧場に就いて」(崖)。
大学1年のとき肺炎に続いて湿性肋膜炎で九死に一生を得る。
ヴァレリーを読む。

1941(昭和16)年 22歳

世田谷赤堤の借家へ引っ越す。父は開業せず、伊豆の結核療養所に勤務していた。水道橋能楽堂に通う。
12月8日あるいは9日、新橋演芸場で文楽の引越興行(二世豊竹古革刃太夫)を見る。
垣花秀武もその日か別の日に観劇した。

1942(昭和17)年 23歳

10月日本軍ミッドウェーで米軍に敗退。

秋、中村真一郎、福永武彦、窪田啓作、原田義人らと詩グループ「マチネ・ポエティク」(命名・福永武彦)を結成。赤堤の加藤家には、山崎剛太郎、窪田啓作、中西哲吉や原田義人が集まった。
12月「物象詩集に就いて」(四季70・四季社)

1943(昭和18)年 24歳

10月学徒動員

9月25日、東京帝国大医学部を繰上げ卒業。東大附属病院医局佐々内科に副手として勤務(43年10月前後から58年8月前後まで)し、血液学を研究、無給医局員として働きはじめる。のちに美甘内科にも所属。3時間の通勤時間中にラテン語を学習。同人雑誌「早蕨」に、ピエール・ルイスや、藤原定家を論じた文章を発表。
11月 詩「妹に 2編」(向陵時報11・10)

1944(昭和19)年 25歳


6月 連合軍ノルマンディー上陸。8月パリ解放。10月レイテ沖海戦。11月B29本土空襲。

5月 戯曲「トリスタンとイズーとマルク王との一幕」(向陵時報5・31)

 

1945(昭和20)年 26歳

3月 東京大空襲(9日―10日)の時、本郷東大病院で治療にあたる。そののち、春、佐々内科とともに信州上田の柳沢病院と結核療養所「奨健寮」に疎開。(8月末まで)
5月 輸送船で送られた中西哲吉フィリピンで戦死。
「太平洋のいくさの全体のなかで私にどうしても承認できないことは、あれほど生きることを願っていた男が殺されたということである」(「羊の歌」)
8月15日終戦を迎える。広島長崎に原爆投下、信濃追分で片山敏彦に会う。
9月初め 東京(目黒区宮前町の借家)に戻る。
10月 東大医学部と米軍医団共同の原子爆弾影響合同調査団の一員として広島に約2ヶ月赴任。

1946(昭和21)年 27歳

5月東京裁判、 11月日本国憲法公布
5月30日 綾子(医家に育つ・キリスト教系大学卒)との婚姻届出す

中村真一郎、福永武彦と新雑誌「使命」を企画したが実現せず。

3月「〈作家案内〉ジャン・リシャール・ブロック」(文学時標3・15)。荒井作之助(ある農民の名前を借りて)の筆名で「天皇制を論ずー不合理主義の源泉」(『大学新聞』:財団法人大学新聞社 3・21懸賞評論当選作)(のちに「天皇制を論ず―問題は天皇制であって天皇ではない」と改題)。
4月 「横光利一」(文学時標4.1)「仏蘭西の左翼作家」(大学新聞4.11)。
5月「佛蘭西には何が起つたか?」(ふらんす 5.21)
6月「逃避的文学を去れ!―敗戦後の文学の姿―」(『帝国大学新聞』6・11)、「天皇制について」(荒井作之助の筆名で)(「女性改造」改造社)。
7月雑誌「世代」(目黒書店)(いいだもも・遠藤麟一朗)(1946.7−1946.12)のコラム”CAMERA-EYES”に 中村真一郎、福永武彦らとともに連載時評を執筆。”CAMERA-EYES”新しき星菫派に就いて」(世代),
9月「”CAMERA-EYES”或る時一冊の亡命詩集の余白に A MONSIEUR M.KAS(Z)AMA」(世代 /風間道太郎に)。「暗黒をひらけ」(文学時標)。「ジャン・ゲノに就いて」(近代文学)。
10月「ヒューマニズムと社会主義」(黄蜂3号/野間宏)、座談会「フランス文学を語る」(「近代文学」(荒正人、佐々木基一、埴谷雄高、河合亨、中村真一郎)。「小説の問題/高見順、渡邊一夫、加藤周一」(季刊藝術 III)、「”CAMERA-EYES”一九四五年のウェルギリウス」(世代)、
11月シャルル・デュ・ボス「バッハに就いて」(翻訳)「世代」)。「ハックスリ」(文学時標11.10)「”CAMERA-EYES”焼跡の美学」(世代)。「ロマン・ロランの肖像」(女性改造)。「革命の文学と文学の革命―森有正、石川淳両氏の文体」(帝国大学新聞11.13)
12月
”CAMERA-EYES”我々も亦、我々のマンドリンを持ってゐる」(世代)、短編小説「夢の後に」(「高原」2号・鳳文書林)

1947(昭和22)年 28歳

3月 教育基本法、学校教育法公布 5月 日本国憲法施行


                      渡辺一夫装丁「1946 文学的考察」

1月「サルトルの誤解―無縁の衆生”実存主義”」(帝国大学新聞1.1)。
2月「渡辺一夫著「空しい祈祷」」(文化ニュース2.17)
3月「サルトル及び実存主義は何処にあるか」(文化ウィークリー3.3:新興藝術社)、「風俗時評(一)(ニ)」(時事新報3.6=7)、「書評 サルトル著 白井浩司訳「嘔吐」 無の不安」(日本読書新聞)、「マチネー・ポエティクとその作品に就いて/(詩)妹に」(近代文学)
4月「ジュール・ラフォルグ又は諷刺家の心情」(「諷刺文学」創刊号・イヴニングスター社)、「ソネット」(のちに「シェークスピアのソネット」と改題)(「批評9・シェークスピア特集号」。「マチネ・ポエティクとその作品について」(近代文学)、「リアリズムと小説」(「藝術」3号:八雲書店:のちに「レアリスムと小説」と改題して『現代日本文学全集96 現代文藝評論集(三)』筑摩書房58・5に収録)、座談会「平和革命とインテリゲンチャ」(福田恒存・花田清輝・日高六郎・埴谷雄高・荒正人・佐々木基一と)(
「近代文学」)、
5月「1946:文学的考察」(中村真一郎・福永武彦と共著*真善美社)。「オルダス・ハックスリの回心 TO DR.JOHN P.LOGE」「金槐集に就いて」「寓話的精神」「知識人の任務 A MONSIEUR LE PROFESSEUR K.WATANABE」。
6月「ヴァレリー頌―知られざる詩人に」(「詩人」47.5=6 矢代書店)、「大野俊一訳「現代フランスの文学開拓者」クルチウスと広義象徴主義」(大学」大学文化社)、筆名「周」で「時事新報」に「歌の翼」(6.5)「ベレー帽」(6.10)「原口統三」(6.15)。「所謂デカダンスに就いて」(藝術新聞6.21)。
7月 「近代文学」同人となり、中野重治と「政治と文学論争」をしていた荒正人と文学論争、荒の小市民的エゴを批判した「IN EGOISTOS」を発表。「人間」(木村徳三編輯長)に送った原稿「信仰の世紀と七人の先駆者」で、初めて給料を得る。花田清輝らと雑誌「綜合文化」創刊、「亜米利加に学び理性をもとめるための方法叙説」(「綜合文化」創刊号・真善美社)、「リアリズムと小説」(藝術 第3号)、「ある婦人への手紙」(進路・進路社)
8月詩「月夜」(詩人)。「能と近代劇の可能性」(『古典発掘』真善美社;加藤周一・中村真一郎・佐々木基一・岡本潤他)、「サルトルと革命の哲学―現代フランス書籍展の印象」(文化タイムズ8.11)、「我々は現実に還ろう」(読売ウィークリー8.16)、詩「別れの歌 第三」(詩学:岩谷書店)
9月「妹にIII」(綜合文化)、「革命の文学と文学の革命―『ユーロップ』誌の役割に就て」(「人間」)のちに「文学の革命と革命の文学―「ユーロップ」誌の役割について」と改題)「近代文学サロン」欄/編集後記(近代文学)。詩「魔王」(短歌雑誌八雲:八雲書店。小説「三つの話(我が伊太利亞に赴くは/金色の海の道―又は或る少年の死、トリスタンとイズーとマルク王の一幕」(綜合文化)(のちに「三つの前奏曲」と改題)「文楽・歌舞伎・能」(上)(下)」(時事新報9.16=17)。「一八世紀のフランスの医者」(ともしび)。
10月「話の泉」(時事新報10.17)
11月「象徴主義的風土」(花5:新生社)、「日本の牛」(近代文学)「四章―伊藤左千夫の主題による四つの四行詩」(詩人)、座談会「コミュニズムと人間の自由」(中村哲・野間宏・赤岩栄・真下信一松本慎一と)(世界評論)、
12月「日本文学の伝統」(東京新聞12.3)。小説「悪夢」(「人間小説集:別冊1」:鎌倉文庫)。詩「白樺」「二つの島」(のちに改題「愛の歌」)(「文藝」河出書房)。座談会「20代座談会 青春の再建」(光)(中村真一郎、三島由紀夫、田代正夫、寺沢恒信、石島泰、上野光平、三浦節、升内左紀)
 

1947年6月 広島にて 三好和夫と

1948(昭和23)年 29歳

内田義彦・森有正・木下順二・野間宏・瓜生忠夫らと『資本論』(英訳・邦訳)輪読会をもつ。

1月、短編「ミチルの手記」(「近代文学」)、詩「Deux RONDELS」(雨と風:さくら横ちょう)(「綜合文化」)「どんだろう」(大学:のちに「狂言に関する一挿話―どんだろう」と改題)。「藤原定家-『拾遺愚草』の象徴主義」(「文藝」)「神秘主義解義」(東大新聞1.15)。「美女と野獣」の幻想(毎日新聞1.19)
2月「正常人唾液の悪性貧血者血液像に及ぼす影響」(日新医学)。「アンドレ・ジイドと文藝批評の問題」(「人間」)、「伝統は生きる」(読売新聞2.16)、「コンディヤックの『感覚論』について」(季刊「表現」・冬季号;角川書店)。小説「黄金の家」(「思潮」7:昭森社)、座談会「戦後(アプレ・ゲール)文学の方法を索めて」(佐々木基一・花田清輝・野間宏・福田恒存・加藤周一)(綜合文化)、「コンディッヤックの『感覚論』に就いて)(「表現」冬季号)。「健康に就いて」(個性:思索社)「伝統は生きる」(読売新聞2.16)、正常人唾液の悪性貧血患者血液像に及ぼす影響について」(日新医学35:南江堂)
3月「ボードレエルに関する講義草案」(「批評」9)、「漱石に於ける現実―殊に『明暗』について」(国土3−4), 「フェミニスト座談会」藤田嗣治・加藤周一他・表紙・岡田謙三(婦人公論32巻3号)、
4月「文芸時評と修辞学」(「人間」3)「将軍の狂信」(「文藝春秋」26),対談「文學と政治」(宮本顕治と)(展望)、「コクトオ覚書」(「世界文学」20・世界文学社)
5月「不思議な話」(「文藝」)、「ルイス頌」(「至上律」4号:青磁社),座談会「日本詩の韻律の問題」(加藤周一/鮎川信夫/城左門/中桐雅夫/相良守次/岩谷満/窪田啓作/湯山清)(詩学)、短編「夜曲」(「中央公論」)。
6月「夜曲」(中央公論)、「カール・ヤスパースの精神病理学」(近代文学)、「現代フランス文学の問題-「現代フランス文学論」の序」(新文学:全国書房)、「二人の小説家」(東京新聞6.13)
6−8月コンディヤック感覚論上下創元社〈哲学叢書〉三宅徳嘉と共訳)。
7月「マチネ・ポエティク詩集」(「真善美社」:
限定750部・福永武彦・加藤周一・原條あき子・中西哲吉・窪田啓作・白井健三郎・枝野和夫・中村眞一郎。森有正、中村真一郎らと同人雑誌「方舟」を創刊、編集長は原田義人。「ジャン・リシャール・ブロック又は或る音楽的魂に就いて」を掲載。「Chininの神経精神機能に与える影響」(精神神経学雑誌50)、座談会「リアリズムをめぐって」(岩下順一・荒正人・中村眞一郎・野間宏・花田清輝・佐々木基一と)(総合文化7月号),「一枚のドゥランに」(改造文芸・改造社)
8月座談会「文学と平和への意志」(花田清輝・矢内原伊作・野間宏・荒正人と)(人間)(鎌倉文庫)、「ロベール・アロン「ドイツの異教主義」(翻訳)(ヨーロッパ:鎌倉文庫)
9月 短編「二重の誤解」(「方舟」2)、「方舟」は2号で終刊。「文体について」(「文藝」)。短編・戯曲集「道化師の朝の歌」(河出書房〈方舟叢書〉)
,「文学と現実」(中央公論社)。「レ線大量一時照射の血液並びに造血器に及ぼす影響(第2報)―骨髄像の変動に就いて(共著)」(日本血液学会雑誌)
10月評論集「現代フランス文学論I」(銀杏書房)。「二つの証言―ヨーロッパ人はかく語りき」(千葉医科大学新聞10.25)
12月「孤独の意識と広場の意識―或る小説家への手紙」(「個性」)。ジャン・カッスー「一つの自由と多くの自由」(訳)(ヨーロッパ2)
、作詞「花輪のワルツ」(作曲・箕作秋吉「働く婦人」日本民主主義文化連盟)

1949(昭和24)年 30歳

10月 中華人民共和国成立

春 浦和から東京へ通勤(50年5月頃まで)
5月30日母ヲリ子胃癌で逝去。 
荒正人と星菫派についての論争。(荒正人「オネーギンをのせた「方舟」」(赤い手帖)。京都古寺を訪ねる。

1月ー8月「ある晴れた日に」を「人間」(木村徳三編集長)に連載。
1月「女と蛇と山芋の話」(社会4巻1号:鎌倉文庫),「二人のモリヤック」(展望:筑摩書房)。「血液学の進歩1941−48」(共著・日本臨床),「カトリシズムと現代―実存主義及びコムミュニスム批判」(高桑純夫ほか編『世界観の探求』河出書房)
2月「いはゆる『アプレゲール派』とは何か」(新潮)、「途絶えざる歌ーフランスの『抵抗』と詩人たち」(展望)、「オルダス・ハックスリの最新作『時間は停まらなければならない』に就いて」(黄蜂4)。「文学者の道徳」(のちに「太宰治、または文学者の道徳について」と改題)(婦人公論)
3月「木下杢太郎の方法について」(文藝往来)。「戦後のフランス映画」(展望)
4月「フルトヴェングラーの不幸」(文学界3)、臼井吉見の斡旋で宮本顕治と対談「文学と政治」(展望),「芥川龍之介『夜来の花』解説」(新潮文庫)
5月「何が美しいかといふこと―庭とブギヴギについて」(女性線:女性線社)
6月三宅徳嘉と共訳「感覚論」(上)(創元社・哲学叢書24)、
7月「サルトルの位置づけ」(展望),「詩壇の或る傾向について」(詩学19号)(4巻5号)、「現代短歌に関する私見」(短歌研究)、「マチネー・ポエティーク」(国文学 解釈と鑑賞)
8月ー10月「文藝」の文芸時評を担当。
8月「私小説の栄枯盛衰」(文藝)。「何が人間的であるかといふこと―引揚者と金持と女学生」(女性線)
9月「「現代詩」第二藝術論」(文藝)、座談会「日本的感覚・意識について」(南博、鶴見俊輔と)(人間)、「人間像の変革へ―戦後フランスの知性」(東大学生新聞)、「極超短波の生物に及す影響に就いて(第3報)―血液並に造血臓器に対する作用(共著)」/巨核球性骨髄性肝脾腫の3例」(日本血液学会雑誌12)
10月「文学のうしろに寝てゐられないことについて」(文藝)、「木下杢太郎とシナの医学」(近代文学)。「植民地文化について」(展望)、「芥川龍之介の文章」(『現代日本小説大系』新現実主義1、河出書房・月報7)。「外国の文学とわれわれ―流布されてゐるいくつかの説について」(ESPOIR3)、「「武蔵」と「永井物」―誰が書き、誰が読むのか」(学園新聞・京都大学新聞社)
11月「漢方医の脈」(朝日新聞11.5)、「きけわだつみのこえ」(「報知新聞」11・10)、「共産主義的と進歩的キリスト者―U・C・Pを中心として」(潮流:潮流社)、「何がほんとうであるかということ」(新日本文学:新日本文学会)
12月「日本語の運命」(展望)、「文芸雑誌の売れないわけ」(近代文学)。

 

1950(昭和25)年 31歳

1月 平和問題談話会声明、全面講和・中立・軍事基地反対を主張、
2月2日 医学博士となる。
5月浦和を去る 東京都文京区駒込西片町9番地へ 
6月朝鮮戦争始まる
(〜53年) 
8月警察予備隊令公布

1月 短編小説「失はれた指輪」(女性改造)、「新しい人間像ーアラゴンの場合」(人間)「フランソワ・モーリヤック」(近代文学)「戦後のカトリシズム」(展望)。毎日新聞文藝時評[原子核」(筆名235)(1月15日から4月16日まで12回)を担当、「現代詩、用語とリヅムの問題」(国文学 解釈と鑑賞)、「野間宏の「時代の眼」について」(近代文学)、「若い者の立場―思想を信じないという思想」(朝日新聞1.19)
2月「日本の庭―To Professor N.Nakanishi」(文藝)。「戦後文学と娘たち」(東京日日新聞2.11)座談会「新しい文学の方向」〈展望)(三島由紀夫、中村光夫、小田切秀雄、野間宏、椎名麟三と)「サルトル」(大百科事典:新補遺2:平凡社)
3月「民主主義文学論」(文芸)、「鴎外と洋学―外国文学理論の移植について」(文学)。「サルトルと映画「賭はなされた」を繞って」(文学界)。「サルトルの『自由の道』−小説の運命」(展望)、「幸田露伴著『風流艶魔伝』―生きている露伴」(図書新聞)、「民主主義文学論―宮本百合子をめぐって」(文藝)、座談会「日本共産党にもの申す」(世界評論)(中島健三、高橋純夫、、中村哲と)、
「戦後文学の偉大と悲惨」(日本読書新聞)、「想い出」(鐵門だより)「ある晴れた日に」(月曜書房)(序文 渡辺一夫)(編集長 永田宣夫)。
4月「トロワフォンテーヌ『サルトルとマルセル」(人間)、「現代詩と科学」(現代詩講座1「詩とはなにか:創元社)、「サルトル」(哲学講座5 哲学と文学:筑摩書房)、「宮城音弥著「近代的人間」」(日本読書新聞4.26)、座談会「現代文学の全貌」(青野李吉ほか8名)(「文藝」)、「x線大量照射がモルモットの造血器官に及ぼす影響の病理組織学的研究」(日本医学放射線学会雑誌)
5月「演劇のルネッサンスーポール・クローデルを繞って」(人間),「「細雪」の雪子など」(新女苑:中村真一郎への往復書簡:実業之日本社)(のちに「日本の女―『細雪』をめぐって」と改題)、座談会「風にそよぐ知識人」(中野重治・阿部行蔵・竹内好・広津和郎誌上参加)(「世界評論」)
6月「フランシス・カルコのパリ」(展望)(のちに「詩人の都―フランシス・カルコの場合」と改題)、〈書評〉松田道雄「結核をなくすために」(サンデー毎日6.4)、〈書評〉フロベール、生島遼一訳「感情教育」(図書)、「月日の経つのは」(サンデー毎日6.11)、「悪夢の環の再発見―野間宏『青年の環』(第二部)」(東大学生新聞6.22)、「アラゴン/サルトル/象徴主義/抒情詩/マルロー」((世界文学辞典:河出書房)
7月「世界名作大絵巻 家なき娘(翻訳)」(女学生の友:小学館)、〈書評〉「ヴァレリー全集」7「精神についてI」(図書新聞7.26)、「巨大核細胞性骨髄性肝脾腫の3例」(日新医学37)、「アルベール・カミュの証言」(雄鷄通信:雄鷄社)
8月「サルトルのアメリカ論」(人間)、「現実主義ということの意味」(新日本文学5)。「文学とは何か」(角川新書・角川書店)、「実存主義の伝統について―バンダの近作を廻って」(雄鷄通信)、「寝苦しい夏の安眠法」(婦人生活)、「ロベルト・シュウマン」読後(近代文学5)、〈書評〉「ウィルジル・ゲオルギウ、河盛好蔵訳「二十五時」(サンデー毎日8.13)、「渡辺一夫「仙人掌の歌」を読んで」(日本読書新聞8.23)、座談会「文学と科学」(武田泰淳・福田恆存と)(中央公論)
9月「藝術の魅力ぬきの藝術論」(展望)、「三つの小説論」(文藝)、「シモーヌ・ド・ボーヴォアールの女性論」(婦人公論)、「永井荷風」(『日本文学講座 6 近代の文学 後期』河出書房、折口信夫ほか2名監修)
10月「『1984年』の絶望―現代の『絶望と希望』)(日本評論)。「病床の堀さん」(文学界),「現代フランスの演劇―その一つの傾向について」(のちに「現代フランス演劇概観」と改題)(世紀:エンデルレ書店)、「ボヴァリー夫人―映画と小説」(文藝)、「「1984年の絶望」(日本評論)、「「ぶどうの会」に」(「夕鶴/たつのおとしご」公演パンフレット)、座談会「若き女性を語る」(岡本太郎・加藤周一他)(婦人公論)、「心の底から起る感動―フランスレジスタンスの記録 ルイ・アラゴン著 淡徳三郎編「愛と死の肖像」(三田新聞10.30)
11月「つくりだす幸福ー愛の詩人・パットモア」(女性改造)(のちに「「詩人の愛―カヴェントり・パットモアの場合」と改題)、「心配な’愛国心’の再興」(朝日新聞11.26)。「戦後のフランス文学」(『現代フランス文学-
新しい動き
―』白水社(渡邉淳・野間宏・新庄嘉章・小場瀬卓三・白井健三郎と共著)。「幸福でない話」(婦人民主新聞11.5)、「ポール・エリュアール―詩と真実他」(現代詩講座:創元社)
12月〈書評〉「切実な社会問題の提起―極光のかげに」人間選書I)(全国出版新聞12.1)、「フランス文学辞典」(全国書房)の「アンドレ・マルロ、ジャン・ゲーノ、ジャン・コクト、ジャン・リシャール・ブロック、ラモン・フェルナンデス、ロマン・ロラン、デステュ・ド・トラシ、ポル・ニザン、『征服者』、『希望』の項執筆。「忘れられた大衆―風俗小説への反省」(東京タイムズ12・7)、「所謂”大衆的”と異なる”大衆的”」(新山梨新聞12.10)、「理性」(市原豊太編『人生に関する五十八章』・河出書房)。

 

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