・6月29日(日)午後2時〜4時30分 

   「堀辰雄と音楽ーートーク&コンサート」トーク加藤周一・コンサート浜口奈々(ピアノ)
    世田谷文学館[文学サロン]1階

[加藤氏のトークの内容から]

加藤氏、席に着くと やおら安っぽいビニール鞄から、メモを取り出しながら言う。
「なんかこの中から、手品のように、出てくるわけではありませんよ」
こうして会場をなごませてから、話はじめる。

いま、紹介があったかどうか知りませんが、加藤周一です。
「堀辰雄と音楽」という題ですが、「音楽」というのがむずかしい。全集、私はぜん
ぶ読んだつもりだけれど、音楽について具体的にはない。私は音楽についての知識も
ないし、ショパンについての知識もない。

とはいえ、堀さんを知っている人はほとんど亡くなってしまったから、偶然、運良く
生き延びた(笑)私がなにかお話しする資格がないわけでもないでしょう。

そこで堀辰雄だ。生まれたのは1904年。亡くなったのが、1953年。一言でいえば1930
年代の小説家ということになる。ということは戦前ということです。大正デモクラ
シーが終わった頃。

その特徴の第一は、・・・・まあここは日本ですので、あまり外国語は使いたくない
んですが(笑)、・・・
integrityがあったということ、人格の一貫性、統一性がひじょうに強かった。自分
の立場を守って、容易に変わらなかったといえるでしょう。

identity・・・・その人格の中心部は、文学者として小説家として、日本文学の根源
に遡っていた。日本文学の根源というのは、平安期。古今集的、源氏物語的な文学的
identityということです。

しかしもちろん30年代のこと、現代なんだから、現代日本の感受性がくっついてい
る。現代日本語と平安期日本とのつりあい、が うまくいっていたということだな。
じっさい堀さんの文章は、三行読めば、堀さんのものだと分かる。そういう作家はほ
かには珍しいでしょう。

さてその作品だが、小説、とくに初期のものは、ある意味でハイカラなものだ、その
あと近代日本文学の傑作の一つとされる「風立ちぬ」がくる。最後は「菜穂子」・・


全体には、優美で、美しく、優しいというイメージ。だからこんなに沢山の人がいま
だに読んでいる。そういう作家は珍しいですよ。だが、その評価は割れている。優し
いから好きだという人。その反対に、「だから」嫌いだ、という人。


堀さんの文学が、優しくてきれいだけじゃないんだ、と言ったのは中村真一郎です。
ほんとうは中村にここでしゃべってもらいたいんだが、彼はもういないので、私が
しゃべります。

ことに「菜穂子」ですが、これは外面的な行動がどうこうという話ではなく、心の中
に、ひじょうに複雑で微妙な心理の劇が展開しているのだ。Balzac、Zola、
Flaubert【このあたりから加藤氏のいつものことながら、英仏独語の発音がバリバリ
の原音になる。雰囲気を伝えるためにアルファベットにする。】などの19世紀の小説
とはちがう。20世紀、ことにProust以後の小説の特徴である。

堀さんは、それを受けついだ、日本では前衛的、avant-gardeの開拓者だった。「菜
穂子」の延長に現代小説は展開するのだし、するべきだ、と言ったのが中村だった。
私は、だいたいこの意見に賛成だな。

きれいで、気持ちいいだけじゃない、人間の劇が展開しているのだということ。
Virginia Woolf に Mrs. Dalloway というのがある。出てくるのは中産階級の上のほう。日常生活は、あまり波風がたたない。パーティーとかなんとかね。しかし、心の中では、ほんとうの人間の劇が進行している。Michael Cunningham に The hours というのがある。映画にもなった。だれが作ったか忘れちゃったけど。日本語の題名は「めぐりあう時間たち」。これを観れば、堀さんの意図したことが、手っ取り早く分かります。

それからHenry James 。The Portrait of a Lady なんてありますね。
もちろん Proust。それから Francois Mauriac........カトリックだが、ちょっと
読んだだけではカトリックらしくない。あまり大きな事件が起こるわけじゃない。

では中で劇が起こるというけれど、何が起こるのか。それは愛と死です。ことに男女
の愛と死。

Rainer Maria Rilke という人がいます。この人はプラハの生まれ、ドイツ語で書い
たが、ちょっとフランス語でも書いた。Auguste Rodinの秘書をしてます。「ドゥイ
ノの悲歌」とか「オルフェウスへのソネット」とかを書いてますが、この人に Die
Aufzeichnungen Des Malte Laurids Brigge という本がある。「マルテの手記」と訳
されていますが。これはパリが舞台だが、パリの町を描いているわけじゃない。一番
出てくるのが、死についてで、死の中に人間の威厳があらわれる。その人らしい個性
があらわれるのは尊厳に満ちた死のなかである。堀さんはRilkeの影響を受けていま
す。

それで音楽の話をしなくちゃいけないんだが、これが難しいんだな。あとで考えま
しょう。(笑)

なにが堀辰雄をつくったか。その要素は4つあると思う。

第1は、東京生まれだということ。東大国文科を出ていること。これは古典文学との
関係がある。
第2は、軽井沢。その役割は大きい。
第3は、体が弱かったこと。肺結核。
第4は、30年代、40年代が、戦争の時代だったということ。対外的には、中国侵略戦
争と太平洋戦争。国内では軍国主義と愛国心の昂揚、ちょっと今と似ているね。
(笑)

この4つのどれ一つがなくても 堀さんはない。

それと芥川龍之介の影響というのが言われる。たしかに芥川は西洋には行ってない
が、洋書から、主に英語で、沢山の文学的知識を得ていた。同時に日本の古典文学
と中国文学の知識も豊富にあった。その流れが堀さんに及んだということはあるで
しょう。

いまではもう死語ですが、「文人」という言葉がある。小説だけじゃなくて、書・詩
・絵画・音楽、ダンスまで、そういうもろもろの芸術に関心がある人のことです。フ
ランス語で、des arts   といいます。humanities。

教養のある人はそういうことを考えている。教養のない人は、まあ、金儲けを考
える(笑)。あるいは戦争のことを考える。
そう、「音楽」といえば、そういう人間の教養全体のなかでの意味はあったでしょ
う。

芥川は、英国人を一人知っていた。ジャーナリストでジョーンズという名前の。たっ
た一人だけだが、じかに生の人間を知っていたことは大きい。本で読んだ知識だけ
じゃない。

堀さんには、そういう芥川の影響はあったでしょう。感受性のなかに、微妙な影響
が。

だから「軽井沢」はむしろ結果だな。まず感受性と、西洋への知的好奇心が涵養され
ていたから、軽井沢のカトリック教会を発見したのであって、その逆、カトリック教
会があって、西洋を発見したわけではない。

軽井沢は、また英語でいう haven だった。【oha: だれですか?外国語をあまり使
いたくないと言ったのは?】
軍国主義の嵐のなかの逃避港だな。それと ここにもいらっしゃる多恵子さんとの生
活、これがhavenだった。東京だったらそうはいかなかったろうし、多恵子さんがい
なかったら、堀さんはなかったでしょう。

それと、結核ということは、とても役に立ちます。(笑)
堀さんほどの人気作家になると、軍国主義は放っておかない。協力を迫るのがふつう
です。げんに「驢馬」の同人だった中野重治などは、逮捕投獄されています。堀さん
の周囲の元気な男は全部徴用・動員されています。でも、甲乙丙・・という検査があ
るでしょ。でも病人は動員されない。

軍隊も、まあ軽井沢まで来て、病人を動員するというところまではゆかない。草花の
こととか、ウサギの足跡のことを書いているひとでは元気がでないでしょう。

「日本浪漫派」というのがあった。保田與重郎とか亀井勝一郎とか。あの立原道造す
ら、日本浪漫派に惹かれたときがありました。その点、堀さんはちがう。堀全集には
「聖戦」の一語はどこにもない。そういう意味で堀さんは徹底していた。

このあたりから、加藤氏しきりに腕時計を気にし始める。

さて、もう時間がない。音楽の話をしなくちゃ。
といっても音楽一般では、あまりに漠然としている。堀さんの聴いた音楽。パレ
ストリーナから、バッハ、モーッアルト、ベートーフェンがちょっと、それからショ
パンかな。

まあ音楽は、あとでここで聞けますから、聴いていただくほうがいい。私は音楽につ
いては、あんまりわからない。

ショパンの話をしましょう。ショパンは美しい曲をかいた。フランス人だな。ワル
シャワ生まれだけど。ショパンの生きた時代は、1848年2月革命の時代。これは全
ヨーロッパを巻き込んだ。
ハイネはドイツからパリに亡命していた、ドゥラクロア、ジョルジュ・サンド・・・

どの本にも書いてあるけど、ショパンは「ピアノの詩人」とされている。そのとお
り。間違いない。しかし、ショパンはピアノの可能性を全部開発した人だ。ペダリン
グとかね。そもそもピアノはわりと新しい楽器です。ピアノ・フォルテになったの
は、わりと最近のこと。そこそこ弾ける人になると、ショパンの曲はとても心地よい
らしい。「らしい」んであって、私は指が廻らないからダメですがね、【たしか、加
藤氏はバイエルは卒業。ツェルニーの途中で挫折した?】

ショパンの後になると、もうサーカスだ。リスト!

さて、音楽は、感情を表現するが、バッハの場合は、「一般的な感情」である。怒り
とか哀しみとかの特殊な感情ではない。しかし時代が下がるにつれ、シューマンあた
りのロマン派からは、断固として、個々の特殊な感情表現となる。そしてショパンは
恋愛感情が中心だ。

私もピアノコンサートに何回か行った事があります。それで思い出すのが、戦前、40
年頃かな、安川加寿子が日比谷公会堂で弾いたときのことです。

壇上に垂れ幕が二つあり、そこに「撃ちてしやまん」とか、そういうスローガンが書
いてあった。
演奏のほうは、ショパン。それで私は考えた。その聴衆は、演奏会が終わって外に戻
ると、たぶんほとんどみんな戦争を肯定する。それは矛盾じゃないか、と。

一方に美しい音楽がある。外には、泥まみれの軍靴で押し潰す権力がある。それは相
互に矛盾するものだ。どっちを取るのか。

いまでもそういう選択を迫られる機会はある、と思います。

(おわり)

# この報告は、テープから起こしたものではないので、加藤氏の言葉そのものから
は外れるところがあるはずです。

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