スピーチ

評論家 加藤 周一
きょうは、憲法を守るという話ではなく、みんなで憲法を育てようという子育てみたいな話、憲法を育てるという話をしたいと思います。それは別の言葉でいうと、現実と憲法に書いてあること、たとえば人権の尊重ということと現実に食い違いがある。だから現実に憲法をあわせて変えようという意見がある。それにたいし、食い違いがあるときに現実の方を憲法に合わせる。憲法を現実にあわせるのではなくて、現実に憲法にあわせる。それが憲法を育てようということの意味だと思うのです。

 

憲法も一種の法律ですが、国全体がどこに向かっていくか、その目標とその大きな枠組みみたいなもの、それを明示したものなんです。ですから、理想的には憲法の趣旨を、あるいはその目標を実現するような法律ができればよろしい。だが、それに反するような法律は憲法違反、目標を裏切ることになります。その意味では、一般的に憲法を改正するかしないかという問題より先に、まず、日本国としてどこにいきたいのか、あるいは日本国民としていったい何を望んでいるかという、その基本的目標が大事だと思います。

そこで日本国憲法です。たくさんの目標を掲げていますが、その主な柱は三つあると思います。一つは平和憲法といわれるように、平和が目標ですね。あるいは戦争放棄、戦争はもうイヤだということ、それが第一の目標だと思います。それから第二の目標は人権の尊重ですね。人権という考えは、日本では憲法とともに非常に強く入ってきたわけです、三番目はもちろん民主主義です。主権が人民にあるということ。政府は人民のためにあるので、人民が政府のためにあるのではない。人民が政府のためにあるとする代表的な言葉が「臣民」でしょ。大日本帝国憲法は、「臣民」という言葉を使って「国民」とか「人民」という言葉は使っていません。それは、国の方が先にあって、そのために「臣民」があるという考えです。そして、日本国憲法の方は、国民が先にあって、そのために政府があるということです。

憲法がいっているのはそういうことですが、それならば日本の国民的な目標はどういうものであったか。歴史的に振り返ってみたいと思います。明治維新のときから、つまり帝国憲法より少し前から、日本国民の広い支持を得ている国民的目標は、「富国強兵」という言葉であらわされていたものだと思います。しかし、それを同時にするのは難しいから、明治維新以降の日本は「強兵」のほうから始めた。

その「強兵」を目標にしたのには二つの時期があって、一つは、明治維新から日露戦争まで、三〇年ちょっとの間です。その間に非常に急いで、それから短い期間に徴兵をしいて、近代的な軍隊をつくりました。そして最初にヨーロッパの大国、ツァーのロシアと戦って勝った、それが日露戦争でしょ。日露戦争までが第一の時期で、「富国強兵」のとくに「強兵」という国民的目標を掲げ、それを達成するのは非常に難しいことですが、うまく達成したと思います。どうしてうまく達成したかというのは、もちろん国際情勢もあります。ことに英国とロシアの対立関係があった。しかし、日本国民の才能というか能力があったからだと思います。「強兵」の目的を達成するために、非常に画期的な、驚くべき能力を発揮したといえる思います。

ところが、能力を発揮したことが日露戦争でかなりはっきり出ると、急に自信過剰になって少し誇大妄想的になるんです。短い期間にヨーロッパの大国と対抗できるようなような軍隊をつくったことは驚くべき成功ですが、しかしそのことがただちに「無敵皇軍」ということにはならないんです。ロシアよりももっと強力な国もあり得るわけですから。しかし、話が急に「無敵皇軍」ということになって、そしてアジア大陸への侵略がだんだんに始まっていきますね。それが、二〇世紀の初めから前半にかけての日本の歴史になるじゃないですか。軍国日本がどんどん膨張する。自信過剰で膨張して、だんだんに現実を離れて最後は太平洋戦争をやって一九四五年の敗北になる。

これが第一の目標。だから非常におもしろい。目標を与えられると驚くべき能力を発揮して、そして達成すると急に自信過剰になって誇大妄想になり、やたらに軍事力ですべてのことが解決できると思ってすすんでいくと、大失敗に陥るということです。だから成功も大成功だけれども、失敗も大失敗です。無条件降伏ですから。

その後は心を入れ替えて、こんどは「強兵」ではなく「富国」の方になって金もうけ中心になります。ことに六〇年代の「所得倍増」がそうですね。戦争後の食うや食わずの状態から、非常に短いあいだに大経済大国になったわけですから、これもやはり驚くべき能力の発揮であり、成功といえると思います。しかし、そのために払った代価が高いということもありますし、それから大成功がいつまでも続くものでないということは、九〇年代にはっきりしたわけでしょ。

そして、その成功したときには冷戦が背景にありました。冷戦というのは「敵」、「味方」をはっきりさせることです。憲法は敗戦のときできて、その憲法が掲げた目標は平和と人権と民主主義ですが、冷戦は一種の戦いですから平和は半分の平和です。人権と民主主義は、だんだんにきたけれども十分には徹底しなかった。経済の成長と冷戦とは矛盾しなかったけれど、冷戦と人権の尊重、それから民主主義の徹底は矛盾する面があって、民主主義の多かれ少なかれ犠牲において、それからいくらか人権の犠牲において経済成長がおこなわれた。水俣みたいなものです。

そして、八〇年代の終わりから九〇年代のはじめに冷戦がなくなった。冷戦がなくなった後、状況は変わったと思います。冷戦がなくなった新しい条件のもとで、こんどは民主主義を徹底することができるようになったと思います。

ですから、いままでの近代日本の国民的目標は、第一に「強兵」で、成功して失敗した。その次の第二の目標は経済成長で、やはり成功し、かなり失敗した。それで冷戦のない条件のもとで二十一世紀に入っていくときに、どういう目標をもつか。もういっぺん軍事的なことをしてもだめでしょう。それは、いままでやってみて失敗したわけです。それから大企業中心にしてむやみに膨張政策をとっても、それには限度があります。いろんな意味で。そうすると何がいいかということになると、目標としては、平和憲法。できたのは四七年だけど実行できなかった。条件が変わってこれから先、日本の国民的目標になり得るのは平和憲法を徹底させること。憲法というのは、さっき述べたように、できたらすぐに神通力を発揮するのではなくて、だんだんに社会の中に育てていくもの、だからもっと育てていきましようというのが私の提案。二十一世紀の日本の国民的目標というのは、たぶんそれしかないと思います。だから憲法を変えるのではなくて、憲法を育てるのが目的だと思いますね。

いま、安全保障のことでいろいろ問題になっているのですが、その安全保障というのは、日本国の安全ということからいえば、だんだん一つの国だけで安全にすることは難しくなっている面があります。だから、ある地域で多くの国が集まって安全を保障しようという考え方がすすんでいくわけです。そのとき、その地域の中で、日本の場合だったら東北アジアの地域で、安全な環境をつくるためのいちばん大事なことは、そこにある国の信頼関係です。信頼関係の方が、軍備の増強よりはるかに大事なんです。別の言葉でいえば、現実主義的だと思う。だから現実的に日本国の安全を保障しようと思ったら、隣国との信頼関係を築くことですね。

そして、安全のために軍備を増強するという方法はどうしても信頼関係を傷つけますから、それは非現実的な方法ですよ。それはだんだん時代遅れになりつつある。だから安全保障のために軍備という考え方は、古い考え方で時代遅れなんです。そしてだんだんに現実を離れている。もういっぺん現実を離れて、できないことを軍事力でやろうとして大失敗をする必要はないでしょう。

だから二十一世紀になって大事なことは、やり方を変えて、安全保障を信頼関係の方に切り替えることです。その一つの表現が、たとえば朝鮮半島における金大中大統領の「太陽政策」だと思います。そして、日本の平和だけではなくて、世界全体の平和、もっと大きな地域の平和ということになれば、そのいちばん大きな問題は南北問題の解決ですね。南北格差をなんとかすること。そのためには武器はほとんど役にたたないです。軍備を調えることで南北問題にアプローチすることはできません。他の手段を講じなければいけない。経済的、政治的、文化的なです。武器のほうはだんだんその意味が非現実化しつつあると思います。安全のために現実的な政策は武器で、外交的手段、それから政治的、文化的手段は非現実的だ、という考え方はまちがっていると思います。それはむしろ逆だと思います。

したがって、日本国憲法はすでに平和主義を掲げているのですから、それを変える必要はないと思います。変える必要があるという人の意見はいろいろ出ているわけですが、その一つに、五〇年もたってもう古いからというのがあります。これは非常に幼稚な考えです。大日本帝国憲法は五〇年以上も生きた。ただの一行もかわっていない。だから憲法五〇年は別に古くはない。

それからもう一つは、「押しつけられた」というのがあります。「押しつけられた」から変えようというのもバカげた考えだと思いますよ。というのは、いいことを押しつけられることもありますからね。だから押しつけられたことは皆悪いとはいえないわけですね。たとえば、その劇的なものは「男女平等」です。「男女平等」は押しつけられたものだからもう一度不平等にする必要がありますか。すくなくとも女の人はそれに賛成しないと思いますよ。そういう空想的なことを言っても、たいして意味はない。

それから、いま憲法を変える、ことに九条に触れるということは、新ガイドラインで決まった、米国が戦争をするときは日本もそれを支持する、その支持をもっと強くするために米国側の圧力が加わっているでしょう。ですから押し付けられた憲法だから変えるのではなくて、憲法を変えろという人たちは、変えること自体押し付けられているわけでしょ。押し付けられた憲法を変えろと押し付けられているわけだから。

もう一つは、外国でもやたらに改めるというのですが、それはそういうことはあります。米国の憲法にはアメンドメント(修正条項)がたくさんあるし、ドイツの憲法もたびたび改められている。しかし、外国が憲法をどのくらいひんぱんに改めているかとか、どのくらい補足をくわえているかということが問題なのではなくて、何を変えているかということが問題なんです。憲法を変えるときには、さっき申し上げた大事な原則を補足して、もっと強化するためにいろんな細かいことを付け加えることがあります。そういう場合と、それからその原則そのものを変えてしまう。つまり憲法の方向を変えてしまうという二つがあります。もし、第九条をもっと自由に軍備ができるように変えるのであれば、それは憲法の精神、原則を補足して強化する改憲ではなくて、別の方角に切り替える改憲です。そういうことが、外国でたびたび起こっているわけではありません。だから外国でやたらに起こっているというのは一種の話のすりかえにすぎない。

それから現実との違いということが言われます。しかし、法律と現実はいつでも違うわけです。泥棒が一人もいなくなれば刑法は必要なくなるわけ。そして日本中がぜんぶ泥棒なら、やはり刑法は役立たない。だから、刑法というものが役立つためには若干の泥棒がいて、大部分の日本人が泥棒ではないというときでしょう。

そういうわけで、違いがあるのは当たり前なんです。違いがあるときに、現実に憲法を変えて近づけるのではなくて、憲法の方に現実を近づける方がよろしいんです。なぜかというと、憲法は、はじめから「日本はこうだ」と日本の現実を叙述しているわけではない。どこへ行くべきかという目標を指示しているわけですから、目標に向かって現実を変えていくのが当然のことだと思います。

だから、改憲にはあまり深い理由がないんです。ですから、ただたんに憲法を守るというのではなくて、憲法というものは社会のなかでだんだんに育っていくものだ、あるいは定着していくものだ、それからだんだんに深まっていくものだ、だから、憲法をただそっとしておくだけでなく、守るだけでなくて、むしろそれを育てていく、目標に近づけていく、趣旨を徹底させるということが大事だと思います。

日本人が日本国に誇りをもつというのは、理想的な目標を掲げ、それをどう追求するかという視点によって決まってくるわけです。いままでは、軍事力だった、軍事大国でそれはダメだった。それから経済大国だけが、金もうけだけが唯一の目的でもダメだった。日本国憲法を守ろうということを目標として追求し、だんだんに徹底させていこうという日本国民の姿勢は、同時に日本国民の日本国にたいする誇りになると思います。

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