『敗戦日記』抄

夕陽妄語 加藤周一 01/08/24 朝日新聞

 一九四五年八月十五日に日本の十五年戦争は、第二次世界大戦の連合国に対す
る降伏で終わった。
 その後五十六年、二〇〇一年の日本の世論は、十五年戦争の見方(たとえば「
教科書問題」)・戦争犯罪に対する態度(首相の靖国参拝と「A級戦犯合祀(ご
うし)」)・憲法改訂の是非・日米軍事同盟の強化(「集団的自衛権」の問題)
などに関して、二分されている。

    *

 その背景には、戦後史理解のちがいがあり、さまざまな理解の背景にはその出
発点としての敗戦の意味づけのちがいがある。

 そもそも降伏と占領は、日本国民にとって軍国主義からの「解放」であったの
か、敗者の勝者への「従属」以外のものではなかったのか。また降伏の前後で日
本国が「変わった」か、「変わらなかった」か。もちろん「解放」は同時に「従
属」を伴い、「変化」は「不変化」と重なるが、そのどの面を強調するかによっ
て、たとえば憲法は理想にもなり、「押しつけ」にもなる。軍国日本の指導者た
ちは「戦犯」にもなり、カミにもなるだろう。四五年の状況と今日の議論は密接
に絡んでいる。

 しかし今日六十歳以下の人々は、誰(だれ)も四五年の日本国を経験しなかっ
た。政府の言動や戦況の推移や国際情勢については、文献によって知ることがで
きるだろう。知ることがむずかしいのは、米軍爆撃下の東京で、一人の知識人が
日常接していた隣人、親類、職場の同僚、家族などの言動はどういうものであっ
たか、そこで彼自身が何を感じ、何を考えていたか、――ということである。そ
ういうことについての証言はきわめて稀(まれ)である。

    *

 渡辺一夫(一九〇一−七五年)の『敗戦日記』は、その稀な例外に属する。四
五年三月十一日から八月十八日まで、東京大空襲(三月十日)から天皇の放送(
八月十五日)までのことを誌(しる)し、その後に「続敗戦日記」(八月十八日
−十一月二十二日)がある。用語は八月十五日以前が主としてフランス語で、い
くらか日本語(引用文にはイタリア語やラテン語もある)、八月十五日以後は日
本語である。その理由はいうまでもなく、私的な帳面においてさえ戦争に批判的
な感想を誌すことが危険と感じられたからにちがいない。

 以下の引用はすべて串田孫一・二宮敬編『渡辺一夫 敗戦日記』(博文館新社、
一九九五年)による。この本は新刊書ではない。『日記』の最初の日本語訳の発
表はさらにさかのぼる(雑誌『世界』一九七六年)。多くの読者はその内容をす
でに知って居(お)られるだろう。それにも拘(かか)わらず敢(あ)えて今私
がこの『日記』から引くのは、四五年当時の筆者の観察と思想が、二〇〇一年の
状況を理解するために不幸にして再び、有益になったと考えるからである。筆者
みずから言う。

 「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねば
ならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、こ
の危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ。」と。
(六月六日)
 今私はこれに賛成する。そして一人でも多くの日本人が、この『日記』を読ん
で、その意見に同意することをではなく、その意見の存在を知るであろうことを
願う。私は以下の引用に註釈(ちゅうしゃく)を加えない。そこから何を読みと
るかは、読者の自由である。

    *

 「何千何万という民家が、そして男も女も子供も一緒に、焼かれ破壊された。
夜、空は赤々と照り、昼、空は暗黒となった。東京攻囲戦はすでに始まっている。
 戦争とは何か、軍国主義とは何か、狂信の徒に牛耳られた政治とは何か、今こ
そすべての日本人は真にそれを悟らねばならない。」
(六月十二日)

 「どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし。
 皆が平和を望んでいる。そのくせ皆が戦争、戦いが嫌さに戦っている。すなわ
ち誰も己れの意志を表明できずにいる。
 戦争は雪崩のようなものだ。崩れ落ちるべきものが崩れ落ちぬかぎり終らない。」
(七月六日)

 「首相曰く、<国民個人の生命は問題にあらず、我国体を護持せねばならぬ>
と。」
(七月九日)

 「唯一の希望(それとも単なる願いに終るか)は一週間後に妻子に会うこと。
しかる後は? 無。」
(七月十八日)

 「月光下隣家の主人退避壕(たいひごう)入口にて壮語す<えゝ月ぢゃ、明朗
敢闘だな!>。この男は嘗(かつ)て曰く、アメリカの奴(やつ)は女房子供の
ことしか考へねえから、駄目だ。」
(四月三日)

 「友さん(筆者の又従弟)が言った、<私は最後までやりますよ!……たとえ
死んでもね!……ここまで来てしまった以上、戦い続けるほかないでしょう……
最後までね!>
 この叫びは僕を強く打つ。つまり日本人一般の気持を表しているからだ。悲劇
的な愚かさ!この叫びが一たび行動に移ると、国を無に帰するだろう。」
(六月二十日)

 「町ですれ違うどの人間も、僕とはまるで違った考えを抱いているように思え
る。芳枝(筆者夫人)が悲しい諦(あきら)めた口調で言う、兄弟も親も友だち
も信用できない、と。そして、遅かれ早かれ、きっと子供たちにも背かれるだろ
う、と。僕らは現実からそれを教えられている!
 しかし芳枝はもう一つの真実を僕ら二人に(少なくとも自分自身に)隠してい
る、夫婦の仲でさえも、時に相手を裏切るものだということを。何たる孤独!
何たる孤独!」
(七月十四日)

 「十時、外国文學科の会。集まる程のこともなし。
 <外国を知らぬから負けたんだ>と諸教授申される。<外国を知らぬからこん
な馬鹿な戦争を始めたのだ>と訂正すべきものであろう。」
(九月五日)
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