「加藤周一著作集」第1期15巻
1.「文学の擁護」
文学の擁護 | 1976 |
文学の概念 | 1964 |
文体について | 1948 |
文藝批評1977 | 1977 |
フランソワ・ラブレーとユマニスム | 1951 |
ラ・フォンテーヌとボワロー | 1951 |
コンディヤックの「感覚論」に就いて | 1948 |
浪漫主義の文学運動 | 1951 |
信仰の世紀と七人の先駆者 | 1947 |
象徴主義的風土 | 1947 |
ボードレールに関する講義草案 | 1948 |
ピエール・ルイス頌 | 1951 |
ジュール・ラフォルグ | 1951 |
詩人の態度 | 1951 |
ジャン・コクトー | 1948 |
ポール・ヴァレリー | 1947 |
2.「現代ヨーロッパ思想註釈」
途絶えざる歌 | 1951 |
ジャン・ゲーノ | 1951 |
ジャン=リシャール・ブロック | 1948 |
ヨーロッパ思想、新しい現実との対決 | 1956 |
現代ヨーロッパにおける反動の論理 | 1957 |
ゴットフリート・ベンと現代ドイツの「精神」 | 1957 |
グレアム・グリーンとカトリシズムの一面 | 1957 |
カール・バルトとプロテスタンティズムの倫理 | 1958 |
シモーヌ・ヴェイユと工場労働者の問題 | 1957 |
E・M・フォースターとヒューマニズム | 1959 |
サルトルの位置づけ | 1949 |
サルトルと共産主義 | 1957 |
サルトルの知識人論 | 1966 |
人間学または「状況第九」の事 | 1976 |
サルトル論以前 | 1979 |
3.「日本文学史の定点」
日本文学史の方法論への試み | 1971 |
果たして「断絶」はあるか | 1956 |
古典の意味について | 1978 |
親鸞 | 1960 |
一休という現象 | 1978 |
世阿弥の戦術または能楽論 | 1974 |
新井白石の世界 | 1975 |
富永仲基と石田梅岩 | 1972 |
宇津保物語覚書 | 1962 |
絵巻物と文藝 | 1975 |
13世紀の海外旅行 | 1956 |
日本文学の伝統と「笑い」の要素 | 1966 |
死の見方、江戸時代と近代 | 1972 |
4.「日本文学史序説 上」
日本文学の特徴について | 1973 |
1.「万葉集」の時代 | 1973 |
2.最初の転換期 | 1973 |
3.「源氏物語」と「今昔物語」の時代 | 1973 |
4.再び転換期 | 1973 |
5.能と狂言の時代 | 1973 |
6.第三の転換期 | 1974 |
5 「日本文学史序説 下」
7.元禄文化 | 1974 |
8.町人の時代 | 1974 |
9.第四の転換期 上 | 1978 |
10.第四の転換期 下 | 1978 |
11.工業化の時代 | 1980 |
終章 戦後の状況 | 1980 |
6.「近代日本の文学的伝統」
現代日本作家の諸問題 | 1969 |
現代日本文学の状況 | 1962 |
私文学論 | 1955 |
外国文学のうけとり方と戦後 | 1960 |
「世界文学全集」について | 1958 |
福沢諭吉と『文明論之概略』 | 1965 |
鴎外とその時代 | 1959 |
鴎外と洋学 | 1950 |
鴎外と「史伝」の意味 | 1963 |
漱石に於ける現実 | 1948 |
物と人間と社会 | 1960 |
荷風覚書 | 1958 |
木下杢太郎の方法 | 1949 |
木下杢太郎と吉利支丹の研究 | 1951 |
木下杢太郎とシナの医学 | 1949 |
龍之介と反俗的精神 | 1951 |
ぼくらの西洋 | 1956 |
逃避的文学を去れ! | 1946 |
日本の家庭 | 1951 |
野間宏『暗い絵』解説 | 1951 |
石川淳小論 | 1955 |
石川淳覚書 | 1959 |
木下順二小論 | 1956 |
さらば川端康成 | 1972 |
7.「近代日本の文明史的位置」
日本文化の雑種性 | 1955 |
雑種的日本文化の希望 | 1955 |
近代日本の文明史的位置 | 1967 |
能と近代劇の可能性 | 1947 |
「近代化」はなぜ必要か | 1957 |
「追いつき」過程の構造について | 1971 |
内コミと外コミの問題 | 1972 |
現代の社会と人間の問題 | 1958 |
都市の個性 | 1972 |
日本語 I | 1968 |
日本語 II | 1971 |
さらば藤純子 | 1972 |
林達夫とその時代 | 1971 |
単純な経験と複雑な経験 | 1977 |
内田義彦の「散策」について | 1974 |
竹内好の批評装置 | 1966 |
戦争と知識人 | 1959 |
日本人の外国観 | 1962 |
日本人の世界像 | 1961 |
日本人の死生観 | 1977 |
8.「現代の政治的意味」
戦争と文学に関する断想 | 1939 |
新しき星菫派に就いて | 1946 |
或る時一冊の亡命詩集の余白に | 1946 |
一九四五年のウェルギリウス | 1946 |
焼跡の美学 | 1946 |
我々も亦、我々のマンドリンを持っている | 1946 |
金槐集に就いて | 1947 |
知識人の任務 | 1947 |
オルダス・ハックスリーの回心 | 1947 |
寓話的精神 | 1947 |
天皇制を論ず | 1946 |
君よ知るや南の国 | 1956 |
天皇制について | 1957 |
風向きの変化と日本の現実主義 | 1958 |
中国承認問題 | 1958 |
中立と安保条約と中国承認 | 1959 |
精神的失業と不平等の国際化 | 1960 |
日本という謎の国 | 1962 |
ドゥ・ゴール体制とは何か | 1963 |
明治100年と戦後20年 | 1965 |
世なおし事はじめ | 1968 |
言葉と戦車 | 1968 |
丁丑公論私記 | 1970 |
米中接近――感想三つ | 1971 |
道義上の問題二つ | 1972 |
ヴェトナム 戦争と平和 | 1972 |
越南自哀文 | 1973 |
見るべき程の事は見つ | 1973 |
天皇について | 1975 |
・9.「中国・アメリカ往還」
I 現代中国をめぐる素朴な疑問 |
1966 |
文化大革命聞書 | 1969 |
中国または反世界 | 1971 |
中国または人民の兵営 | 1971 |
中国・二つの顔 | 1971 |
中国の屋根の反り | 1972 |
中国再訪 | 1979 |
II あめりか・一九六二 |
1962 |
あめりか・一九六四 | 1964 |
アメリカ再訪 | 1969 |
いざ往かん、君にさも似しかの国へ | 1975 |
さらばDISNEYLAND | 1976 |
・10 「ある旅行者の思想」
ウズベック・クロアチア・ケララ紀行 | 1959 |
日本からみたフランスとフランスからみた日本 | 1952 |
イタリアの印象 | 1952 |
北フランスの旅 | 1052 |
ヴィーン今昔 | 1959 |
知られざる国の物語 | 1957 |
メキシコ峡谷の古代 | 1963 |
インドの問題 | 1963 |
ソ連旅行十二のたのしみ | 1963 |
パリの芝居 パリの映画 | 1963 |
ネストロイとカルル・クラウスについて | 1963 |
イギリスと私自身 | 1963 |
スペイン旅情 | 1964 |
・11「藝術の精神史的考察 I 」
藝術と現代 | 1975 | |
紅色娘子軍、ゴダールおよび仏像 | 1972 | |
超リアリズムまたは現実の多様性 | 1972 | |
芸術家と社会 | 1965 | |
芸術家の個性 | 1960 | |
感覚教育 | 1958 | |
複製と実物 | 1960 | |
創造力のゆくえ | 1965 | |
現代の芸術的創造 | 1964 | |
芝居についての芝居 | 1969 | |
野村万蔵の芸 | 1965 | |
欲望という名でない電車 | 1975 | |
真夏の夜がさめる時 | 1973 | |
日本と西ヨーロッパとの間 | 1955 | |
演劇のルネサンス | 1950 | |
ジャン・ジロドゥー小論 | 1955 | |
カルル・クラウス | 1964 | |
フェデリコ・ガルシア・ロルカについて | 1955 | |
誰が星の空を見たか | 1979 | |
小倉朗または音楽の現代 | 1971 | |
音楽の思想 | 1972 | |
現代オペラの問題 | 1954 | |
火刑台上のジャンヌ・ダルク | 1952 | |
ベネディッティ=ミケランジェリを聞く | 1965 | |
映画の問題 | 1951 | |
映画における古典主義の誕生 | 1957 | |
「宿命」と呼ばれた映画 | 1957 |
12.「藝術の精神史的考察 II 」
日本の美学 | 1967 |
藝術論覚書 | 1962 |
洋画と日本画の区別について | 1957 |
仏像の様式 | 1967 |
茶の美学 | 1963 |
日本の庭 | 1950 |
薬師寺雑感 | 1959 |
「源氏物語絵巻」について | 1965 |
宗達私見 | 1968 |
宗達の世界 | 1973 |
光悦覚書 | 1977 |
日光東照宮論 | 1965 |
祗柳随筆 | 1975 |
「南画大体」について | 1959 |
鉄斎覚書 | 1973 |
ヨーロッパとは何か | 1959 |
藝術と形式 | 1965 |
肖像画について | 1955 |
一枚のボッシュに | 1953 |
ヴィーンの想い出 | 1955 |
美術史の縮図 | 1955 |
ルオーの藝術 | 1952 |
ジャコメッティまたは純粋芸術家 | 1970 |
13「小説・詩歌」
ある晴れた日に | 1949 | |
人道の英雄 | 1955 | |
三題噺 | 1964 | |
詩仙堂志 | 1964 | |
狂雲森春雨 | 1965 | |
仲基後語 | 1965 | |
「三題噺」あとがき | 1965 | |
対話―Berlin | 1971 | |
花の降る夜のなかで―Leningrad | 1972 | |
詩 | ||
四つの四行詩 | 1947 | |
妹に | 1943 | |
さくら横ちょう | 1948 | |
雨と風 | 1948 | |
愛の歌 | 1947 | |
優しく甘い恋の歌 | 1975 | |
逝く年の夜の果てに | 1975 | |
異郷の空二題 | 1975 | |
歌 | ||
布哇 | 1976 | |
信濃路 | 1976 | |
彦根 | 1976 | |
京都 | 1976 | |
東京 | 1976 | |
信濃追分 | 1976 | |
北太平洋 | 1976 | |
不忍の池 | 1976 | |
長崎 | 1976 |
14.「羊の歌」
「羊の歌」 | |
祖父の家 | 1966 |
土の香り | 1966 |
渋谷金王町 | 1966 |
病身 | 1966 |
桜横町 | 1966 |
優等生 | 1966 |
空白五年 | 1966 |
美竹町の家 | 1966 |
反抗の兆 | 1966 |
ニ・ニ六事件 | 1966 |
駒場 | 1966 |
戯画 | 1966 |
高原牧歌 | 1966 |
縮図 | 1966 |
古きよき日の想い出 | 1966 |
ある晴れた日に | 1966 |
仏文研究室 | 1966 |
青春 | 1966 |
内科教室 | 1966 |
八月十五日 | 1966 |
「続・羊の歌」 | |
信条 | 1967 |
広島 | 1967 |
一九四六年 | 1967 |
京都の庭 | 1967 |
第二の出発 | 1967 |
詩人の家 | 1967 |
南仏 | 1967 |
中世 | 1967 |
故国の便り | 1967 |
二人の女 | 1967 |
冬の旅 | 1967 |
音楽 | 1967 |
海峡の彼方 | 1967 |
偽善 | 1967 |
別れ | 1967 |
外からみた日本 | 1967 |
格物致知 | 1967 |
AA作家会議 | 1967 |
死別 | 1967 |
審議未了 | 1967 |
「羊の歌」あとがき | 1968 |
15「上野毛雑文」
日本語 | 1960 |
日本の新聞 | 1960 |
余は如何にして基督教徒とならざりしか | 1960 |
安保条約と知識人 | 1960 |
花咲ける乙女のかげに | 1960 |
日本の休日 | 1960 |
HOMO VITAR | 1960 |
祝皇孫誕生 | 1960 |
大学という名の神話 | 1960 |
古典劇の問題 | 1960 |
記憶喪失の幸福 | 1960 |
谷底の風景 | 1960 |
オリンポスの高みから | 1960 |
神は人也」 または『古史通』の事 | 1975 |
記者鑑 または『ストーンズ週刊誌』の事 | 1975 |
民族独立 または『バングラデッシュ詞華集』の事 | 1975 |
秋風一夜百千年 または『狂雲集』の事 | 1975 |
狂気のなかの正気 または『リア王』の事 | 1975 |
はっきりさの程度 または『論理哲学綱要』の事 | 1975 |
低姿勢の哲学 または『雑談集』の事 | 1975 |
詩的幾何学 または『シトー派美術』の事 | 1975 |
艶語 または『春色梅児誉美』の事 | 1975 |
翻訳 または『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』の事 | 1975 |
批評について または『吉田秀和全集』第一巻の事 | 1975 |
ジャポングレ または『フラングレ』の事 | 1975 |
「人間性」について または『デカルト流言語学』の事 | 1975 |
本文批評 または『うつほ物語伝本の研究』の事 | 1975 |
18世紀のイギリス または『ボズウェル文書』の事 | 1975 |
廃元号論 または『私と天皇』の事 | 1975 |
日本再考 または『夢の島』の事 | 1975 |
小社会学 または『仮名手本忠臣蔵』の事 | 1975 |
世論操作 または『乃木希典日記』の事 | 1975 |
権力 または『十二人の皇帝』の事 | 1975 |
大きさの話 または『野生の思考』の事 | 1975 |
女の解放運動 または『正法眼蔵』(礼拝得髄)の事 | 1975 |
怒る事の大切さ または『金芝河詩集』の事 | 1975 |
亡命 または『仕事日記』の事 | 1975 |
至誠 または『安楽の門』の事 | 1975 |
雄辯術 または『ギリシャ政治演説集』の事 | 1975 |
言論の自由 または『平民新聞』の事 | 1975 |
動機 または『ギリシャ神話の象徴体系』の事 | 1976 |
小説の愉しみ または『迷路』の事 | 1976 |
紅茶きのこ または『実験医学研究序説』の事 | 1976 |
政権交代 または『柳橋新誌』の事 | 1976 |
神秘主義 または『イスラーム思想史』の事 | 1976 |
今様『東海道中膝栗毛』の事 | 1976 |
脱神秘化 または『膽大小心録』の事 | 1976 |
戦争 または『フロイト著作集』の事 | 1976 |
転向 または『獄中贅語』の事 | 1976 |
戦争文学 または『再び見出されし時』の事 | 1976 |
信仰 または『正宗白鳥全集』の事 | 1976 |
命短し または『人生夢幻』の事 | 1976 |
多数専制 または『自由論』の事 | 1976 |
その日暮らし または『ある日の言葉』の事 | 1976 |
再びヴィエトナム戦争について または『くさびら』の事 | 1976 |
方法の問題 または『皮膚科学講義』の事 | 1976 |
土着文化 または『萬葉集』の事 | 1976 |
天喪予 または『論語』の事 | 1976 |
偽善的であることの大切さ または『ローマ帝国衰亡史』の事 | 1976 |
海外旅行 または『航米日録』の事 | 1976 |
数字の魔力 または『統計を用いて嘘をつく法』の事 | 1976 |
あとがき または『言葉と人間』の事 | 1976 |
日本の抒情詩 | 1957 |
読書の想い出 | 1964 |
「ネギ先生」の想い出 | 1951 |
日本人冥利につきる事 | 1976 |
梨蘭讃美 | 1976 |
E・H・ノーマン・その一面 | 1977 |
福永武彦の死 | 1979 |
私の広告文 | 1973 |
私の立場さしあたり | 1972 |